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第3話アメリカポピュラー音楽というプレゼント ~後編~

「音楽に見る人種・民族の坩堝アメリカ合衆国のアイルランドとアフリカ」

カリフォルニア州のホームステイ先の下宿のベッド脇にあるラジオから「♪ダニー・ボーイ」が流れていたことを思い出す。

郷愁をかきたてるそのメロディーに聴きいっていたために、大家さの夕食の準備ができたとの呼びかけも聞こえなかった。
この歌は世界中で愛されアメリカに根付き、アイルランドの国民歌「♪ロンドンデリーの歌」から派生したものである。

 歌は人により運ばれる。

1620年イングランドのプリマスからアメリカ北東部沿岸のプリマスへとイギリス本土での迫害を逃れるために清教徒(ピューリタン)を乗せた船が航海に出た。

上陸した地域は「ニューイングランド」(「新しい英国」)と呼ばれるようになり、後の合衆国を建設してゆく出発点であった。

1652年オリヴァー・クロムウェルによるアイルランド征服を契機に移住が始まり、イギリス産業革命期にペンシルバニア、バージニアなどニューイングランドの南部地域に移住し、1840年代にはアイルランド移民はアメリカ移民の半分を占めるようになる。

1845年から1849年に起こった本国のジャガイモ飢饉では多くのアイルランド系カトリック教徒が移り住んだ。
彼らは祖国への望郷の念を抱きつつ、自分たちの音楽もアメリカに持ち込んだ。
彼らにとって小さなコミュニティーでは音楽が自分たちのアイデンティティーを確認できる重要なファクターであり、貧窮のときの強い援軍であったのである。

フィドル、バウロン、ギターなどを中心に演奏された曲は、新世界で、アフリカ起源のバンジョーと出会うことにより、カントリー・ミュージックになってゆく。アパラチア山脈の地域では、こうした音楽が命脈を保ちブルーグラス・ミュージックへと成長してゆくことになる。

前編でも触れたが、アイリッシュ・ミュージックは、新世界で奴隷として連れてこられたアフリカ系の黒人と出会い、新たな大衆演劇である「ミンストレル・ショー」を生み出した。

このショーは、白人が肌を黒く塗り黒人の真似をして、黒人を揶揄した歌を歌ったり、踊ったりして観客の心をつかんでいた。

後には黒人自身が演劇の主役になることもあり、南北戦争後には奴隷解放の姿が描かれるようになる。

丁度、ペリー一行が下田に来たときには、アメリカでは国民的音楽家スティーブン・コリンズ・フォスターが活躍していて、このミンストレル・ショーが盛んに催されていた時期だった。江戸時代の人々は、黒人と白人の差別の姿を意味は分からないにしても目撃したことになる。

織田信長が初めてアフリカの黒人「彌介」(やすけ)に出会っていたこともあり、江戸時代には黒人の存在が一部の人間には知られていたが、このような形で黒人が描かれていることに彼らはどう反応したであろうか?そもそも、日本人はこの当時自分たちが何色の肌をもっているか意識していたであろうか?彼らにとって、白人もまた白い肌色をした有色人種として見ていたことであろう・・・。

 それにしても、当時の日本人がアメリカポピュラー音楽を快く迎え入れたということは、彼らの異文化に対する適応能力の高さを物語っている。

珍しいものには眼のない民族なのであろう、日本人は。

鎖国の反動であろうか吸収力はずば抜けていたのかもしれない。

 

 

ミンストレル・ショーのその後の影響は黒人の文化にも及んだ。ジャズの誕生は、南北戦争後に残った楽器を手に入れた黒人の中から出発することになる。

黒人の音楽はひと時の慰めを提供し、苦痛で呻吟するようなときでも口ずさむ強烈な克己心と陽気さを兼ね備えてゆく。

 今思い返して見ると、私が小学生のときに見たテレビ番組「宇宙大作戦(スター・トレック)」には、建国当初から始まって、黒人を解放するまでのアメリカン・スピリットと自由の獲得の姿がダブっているように見える。

登場人物たちは、黒人(ウフーラ通信士官・中尉)を含めロシア人(パヴェル・チェコフナビゲーター・少尉)、東洋人(ヒカル・スールー主任ナビゲーター・大尉)、スコットランド人(モンゴメリー・スコット機関主任・少佐)、アメリカ人(ジェームズ・カーク船長・大佐、レナード・マッコイ医療主任・少佐)からなり、対立を超えた人物群を配することで当時のひとつの理想的な人類のあり方を描いていたように思える。

この番組はミンストレル・ショーとは反対の方向に向かう描き方をしているのである。

 原さんが最後に演奏した「♪おお、スザンナ」(1852年ジョン万次郎が日本に伝えた)は、東洋人が奏でるまさにアメリカ合衆国を象徴する音楽であった。

我々が現在ホールで聴いている音楽は時として人種間・民族間の障壁を乗り越えるものとなる。そういう音楽の自由さはアメリカが大きなクロスカルチャーの実験室であることを意味している。

 アイルランドの人々は、人種・民族の坩堝であるアメリカ社会の中で、黒人と同様に苦難の歴史をもっているが、音楽だけでなく、次のような彼らの言葉にもその苦難を乗り越えようとする意志が感じられるのである。

「誰も見ていないと思って踊れ、誰も聴いていないと思って歌え、そして君は最後の人間だと思って生きろ」

(Dance as if no one’s watching, sing as if no one’s listening, and live everyday as if it were your last.)

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。