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第5話異国の門を叩くもの 前編

ペリーが日本にやってきた本当の理由とは何か?

それを知るには先ずペリーの生まれた場所を見てみよう。
ペリーが日本を出帆する前後から感じられる国内に噴出するアメリカンパワー!彼らは太平洋を「われらの海」にすべく立ち上がる。

 

新世界の玄関口ニューイングランド地方

漁船が停泊している下田内港の一角に、ペリー(1794年-1858年)が上陸したポイントがあります。

銅像のうしろに広がる下田の海。そのはるか彼方、ペリーが生れた所はどんな所だったのでしょうか?

 彼の生誕地は、アメリカ合衆国北東海岸、ロードアイランド州ニューポート(「新しい港」)。
近くには大都市ボストンがあり、別荘地が多くあることでも知られています。
この町の一帯は、ニューイングランド(「新しいイギリス」)と呼ばれ、イギリスからの移民が自分たちの新天地を築いた、まさにその後の13植民地からアメリカ合衆国になってゆく出発点でした。

ペリーはアメリカの原点ともいえる土地で育ち、日本に赴きました。

下田が日本の開国の玄関口であったように、ニューイングランド地方はアメリカ大陸開国の入り口であったのです。

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そのニューイングランド地方には、先住民のネイティブ・アメリカンズが多く住んでいました。

浅薄にも、彼らを人間以下として、イギリスのプリマスから移住してきた植民地支配者たちは、ネイティブ・アメリカンズを虐殺し、絶滅させる政策をとりました(あのジョージ・ワシントン 1732年~1799年 でさえ彼らに対する焦土作戦を命令しました)。

この地域にあるニューポートは、親ネイティブ・アメリカンズの空気が濃く、信仰の自由の気運が高い町でしたが、ネイティブ・アメリカンズは排撃を受け続けていました。

このような原住民との抗争という背景を持つ町は、植民地でラムを蒸留しこれをアフリカに売り、カリブ海諸島の奴隷と砂糖を輸入する、三角貿易のおかげで発展しました。

またアメリカ独立戦争前後では植民地独立運動の中心都市ともなります。

アメリカ合衆国の建国の当初は、こうした血みどろの抗争があり、マシュー・ペリー自身この地で誕生したのです。

開国・建国とはいっても、日本の開国とは大きな違いのある歴史を歩んできたといえましょう。

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。