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第2話~音楽エネルギー~

野人が行くよどこまでも パート1「コンサートから」 

蝉の声が山一帯で燃え上がるころ、かき氷の冷たさに頭を痛めるころ、一時の涼を得ようとコンサートホールに向かう。通りの閑散とした表情とは逆に、ホール内は前列の空き席以外は立ち見が出るほどの込み合いである。子供を抱っこするママ、孫が出ているのだろうか身を乗り出して演奏を待ち構える初老の男性。セーラー服に身を包んだ中学生と高校生が仲間とヒソヒソ話し、ママ友たちが笑顔を作っている。座っている人も立っている人も生活のごった煮をそのまま持ち込み、しかも突飛な気勢を上げるものもなく、演奏開始を待っている。 演奏団体の交代時間に、間髪いれず、適当な席を探して座る。コンサートのときは癖があって、私の場合、どうしても右側の席につく傾向にある。ガサ、ゴソとカメラのセッティングをして、何気なくコンサートのプログラムを繰る。「なになに、熱川、土肥、稲取、河津、下田、これが中学と高校で、成人は、下田、三島、沼津、伊東・・・とこれは色んなところから演奏者が来ているなぁ~。一団体でやるには人数が少ないのか・・・」。子供の数が少ない上に、実際に楽器を演奏するとなると越えるべきハードルはさらに高いといったところか。

第19回下田吹奏楽祭より

第19回下田吹奏楽祭より

   舞台の上で沢山の人が動き回っている。団体交代間の舞台準備は、みんな右往左往していて、一見して滑稽ですらある。でも、このドタバタが、アマチュアの、手作りの、庶民のコンサートを感じさせる。下手から大きな和太鼓が登場したり、上手からチェレスタ(銅鑼)が足早に舞台を横切ったりして、大道具が行き来することもある。 一通り準備が済み、演奏者が着席して指揮者を待つ。この風景はいつどんなコンサートで見てもいいものである。ピリッとした緊張感が実によく伝わってくる。 指揮者が両手を頭の位置に、スッと挙げ、一瞬の間をおいて、指揮棒が流れるように動き出し、音が流れ始める。ここまでは、クラッシックのコンサートとあまり変わらないが決定的に、音楽自体が違うし、聴いている人の表情が違う 斜め左前の小学生と思われる女の子の口元を見ると、音楽に合わせて口ずさんでいるのが見て取れた。今や飛ぶ鳥も落とす勢いで流行っている、「♪アナと雪の女王~レット・イット・ゴー~」が演奏されているのである。こうした流行り歌が、早くも吹奏楽用に編曲されているのはブラス音楽の柔軟な音楽表現の土壌の賜物であるが、端的にいえば気軽な姿勢と心で聴けるということである。木村カエラの「♪Butterfly」やBump of Chickenの「♪天体観測」といったポップスが聴けるのもブラスの醍醐味であるだろう。 こうした気軽さに加え、クラッシクのようにかなり音楽的に構築された作品もあった。「♪ガルーダの翼」や「♪交響詩曲~走れメロス~」は、力強く、若々しく、鮮烈な印象を放っていた。 成人の部の演目は「♪ポップス描写曲メイン・ストリートで」とグスターヴ・ホーストの曲「♪吹奏楽のための組曲第1番 変ホ長調」(1909年)である。ホーストの曲はもう立派なクラッシックの曲である。それにしても、オケがいいのか、曲の音響がいいのか、兎に角、楽器がよく鳴っていた。金管の音のシャワーを久々に味わった。    音楽エネルギー2    演奏会の最後は、演奏者総出の全体合奏という独特のもで締めくくられた。これもなかなか普通には見られないと思う。何と、その演奏の光景は、演奏者が舞台下まで広がって、最前列に座る人のひざに接近していて、指揮者が舞台下に設けられた「東京コレクション」のファッションショーのような小舞台の上で棒を振る姿なのである。 大集団で音楽を奏でる響きはまさに音楽に対する人々のエネルギー放射にほかならず、聴衆が存在して初めて一つの音楽、一つのコンサートが成立する。みんながコンサートにひきつけられるのはこの共同作業に参加できるからである。久しぶりのコンサート視聴とはいえ、今回あらためて音楽エネルギーのもつ凄さを感じることができた。

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。