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また君は下田の海を味わったのだろうか


この夏はいろいろな海水浴場を巡りました。
土日は曇りの予報が多かったのですが、実際には晴れに恵まれることも多く、気分よく写真を撮ることができました。
いざ海水浴場の写真を撮ろうとすると、すっきりと青空が広がる日は意外と少ないものです。
そして晴れた日には、一日に何か所も回りたくなります。


入田浜

入田浜



初めは車で移動していましたが、海水浴場の駐車料金も意外と馬鹿になりません。
一日に何か所も巡っていると、渋沢先生の顔がちらついてきますので、途中から自転車で回ることにしました。
自転車といってもママチャリです。
恐ろしいほどの暑さでしたが、走り出すと風が意外に気持ちよく、ランニングの練習にもなって一石二鳥というところでした。


人がにぎわう白浜大浜

人がにぎわう白浜大浜



浜には家族連れが多く、外国人の姿も目立ちました。
今では当たり前になっている、下田の海水浴場を訪れる人々の姿。
写真を撮りながら、この風景はいつ頃から始まったのだろうかと、少し気になりました。
前回は、あじさい祭の起源について考えてみました。
では、下田の海水浴場は、いつ、どのようにして市外から人が訪れる場所になったのでしょうか。
前回も手掛かりとした「市民通信」に掲載された昭和52年の座談会を読み返すと、昭和初期、東京から海水浴客を下田へ呼び込もうとした人々の、興味深い証言が残されていました。


昭和初期の観光を支えた藤井佐兵衛



座談会で昭和初期の観光について語っているのが、藤井佐兵衛氏です。
藤井氏は明治9年(1876年)に東京の府中で生まれ、大正9年頃に下田へ移り住み、藤井回漕店を営んでいました。
回漕店とは、船荷の取扱い、積み降ろし、保管、陸上輸送との取次ぎなどを担っていました。
現在でいえば、港の運送会社、倉庫会社、船舶代理店を合わせたような存在でしょうか。
座談会では、藤井回漕店へ船員、従業員、車力などが出入りし、稲梓方面からも初荷を積んだ馬力が来たことが語られています。
座談会の中で、森義男氏は昭和初期の観光について聞かれると、 「それは藤井さんだ。この人が全部関係している。関係しないものはない。」
と答えています。
昭和6年(1931年)に東京湾汽船は「菊丸」という新しい船を造りました。
これで夏に大勢の人が下田へ来るようになったのかと思いきや、 「だが、夏場の客がない。と云うのはあの頃は東京の人は近くでどこでも泳げたんですよ。隅田川で泳げるんですもの。朝日、毎日新聞に働きかけて宣伝してもらおうとしても相手にされない。」
と藤井氏は語ります。
当時の東京では、わざわざ船に乗って下田まで来なくても、身近な場所で泳ぐことができたのですね。
綺麗な砂浜があるだけでは、遠くから人が来る絶対的な理由にはならなかった。


子どもたちが遊ぶ海(白浜大浜)

子どもたちが遊ぶ海(白浜大浜)



関東大震災がつないだ縁



新聞に宣伝を頼んでも相手にされない。
そこで藤井氏が思い出したのが、大正12年(1923年)の関東大震災でした。
「そこでよく考えたんだが、大正十二年の関東震災の時、東京、横浜から沢山の被災者を助けて船に乗せ下田へ連れてきて世話をしたことがある。」
震災の翌年、下田で世話をした人たちから、礼状を兼ねた年賀状が山のように届いたといいます。
藤井氏らは、その年賀状を保管していました。
夏の客を呼ぶ方法を考えたとき、その年賀状を探し出し、それを手掛かりに区役所の職員や学校の先生に協力を求め、小学生や中学生を船で下田へ招きました。
子どもは安くても、付き添いの大人が一緒に来るため、「採算的にもよかった」と藤井氏は語っています。
被災者の援助がその後のきっかけづくりにつながっていたのですね。


外浦では荒川区の下田臨海学園が実施されていました(2026.07.25)

外浦では荒川区の下田臨海学園が実施されていました(2026.07.25)



民家開放から始まる夏の下田



しかし、子どもたちを船で下田へ連れてくるだけでは、海水浴は成り立ちません。
泊まる場所も必要です。
藤井氏は、 「柿崎等の昔船宿をやった大きな家を借りて『民家開放、臨海学校開設、水泳教室』というポスターをつくって宣伝したものです。それは一応成功しました。水泳は鈴木源一君が教えました。 これは恐らく全国でも早い方でしょう。」
『民家開放、臨海学校開設、水泳教室』というキャッチフレーズを見ると、海水浴だけではなく、民宿の始まりもなんとなく分かってきましたね。
これは僕の推測ですが、港として栄えた過去があったから大きな船宿があり、それは残念ながら時代とともに廃れてしまったけれど、その大きな箱があったからこそ、子どもたちの受け入れが可能となった。
広い目で見ると、いろいろなことは無駄ではないというか、つながるものだと勝手に思ってしまいました。
関東大震災のときに避難民を受け入れ、そのときの人脈が「下田で海水浴」につながるのですから面白い。
20年前に教育旅行の担当をしていたとき、埼玉県深谷市の小学生が潮だまりに足を入れただけで感動して、「お兄ちゃん(当時ね)!!海に入ったよ!」と嬉しそうに僕に伝えてきたことを思い出しました。
その子も今となっては30歳前後。
また下田に来てくれただろうか。


友人と楽しそうな白浜大浜

友人と楽しそうな白浜大浜



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