それでも子どもの頃は、祭りがとても楽しみでした。
祖母の実家が弁天(旧澤村邸やかき小屋のあるあたり)にあったので、そこで魚のそぼろのお寿司や鯵の押し寿司を食べるのが楽しみだったのです。
もっとも、子どもの頃の祭りを思い出すと、黒船祭も太鼓祭も、真っ先に浮かぶのは露店の風景です。金魚すくいやヒヨコを眺めた記憶ばかりが鮮明で、パレードや太鼓橋の記憶はなぜか薄い。
どうやら子どもの僕にとって、祭りの主役は太鼓でも神輿でもなく、露店だったようです。
昭和初期の下田で祭りをやらないという選択肢はあったのか?
さて、僕の祖父はどうやら祭りが苦手だったようで、太鼓祭には参加していませんでした。
「俺はギッチョ(左利き)で笛ができなかったからやらなかった」
そう言っていましたが、昭和10年代の町中の人間に、そもそも祭りをやらないという選択肢があったのだろうか、と少し不思議に思います。
というのも、昭和42年に下田史談会が収録した、当時87歳の古老の話に、こんな一節があるのです。
「昔は小学校を卒業すると大体家業をついだり、手に職をつけるといって、大工、左官その他に弟子入りしたのですから故郷を離れるものは少なかったわけです。したがって十四、五歳になると皆若い衆に入りました。」
この古老は明治12、13年頃の生まれということになります。
当時は小学校を卒業すれば家業を継いだり、職人に弟子入りしたりする人が多かった時代です。下田の町で生まれ育った男の子は、14、15歳にもなれば若い衆に加わる。それがごく自然なことだったのでしょう。
さらに古老の話は続きます。
「お祭りは、一年中で一番大切なまちのしきたりで、若い衆中心に行われましたので、男の子は十四、五歳になると、祭りのとき、お神酒をもって、知り合いの小頭位の人に連れられて『日待ち場』に行き、若い衆に入れてもらいました。」
今でいう中学生くらいの年齢で、お神酒を持って若い衆に入れてもらいに行くわけです。
入ったばかりの頃は「小若い衆」と呼ばれ、走り使いや燗つけなどの雑用をさせられます。やがて「若い衆」になり、「小頭」へと進む。若い衆頭はおおむね30歳くらいまでで、その後は中老や宿老として後見役になったそうです。
ちなみに「日待ち場」とは、各町の若い衆が祭りの準備や親睦、休憩などに使う場所のことです。現在でも、区のコミュニティーホールや老人憩の家などが祭りの時期に日待ち場として使われています。
14、15歳で組織に入り、まずは雑用から。なかなか立派な縦社会です。
今なら「それ、パワハラじゃないですか?」なんて声が聞こえてきそうですが、当時はそんな言葉もなかったでしょう。
明治の人も「昔は厳しかった」と言っていた
さて、ここからが面白いところです。
古老は、当時の若い衆の組織について、こんなことも語っています。
「ずっと昔はなかなか厳格なものだったので、下田にも『若者掟書』や『御條目』などという帳面が伝えられている町がありました。」
「ずっと昔はなかなか厳格なものだった」
明治生まれの古老にとっても、昔の祭りはもっと厳しかったらしいのです。
こちらからすれば明治時代など十分すぎるほど昔なのですが、その明治の人が、さらに昔を懐かしんでいる。
どうやら「昔は厳しかった」という話には、相当長い歴史がありそうです。
昭和の若い衆も、すでに言うことを聞かなかった?
似たような話が、昭和63年3月に行われた「八幡様の夏祭り」という座談会にも出てきます。『下田帖』第15号に収録されているものです。
この座談会で司会を務めたのは僕の祖父でした。
祖父が、
「若い衆が年長者の言葉をあまり聞かなくなったという傾向がありますか」
と尋ねると、こんな答えが返ってきます。
「昔は命令一下でしょう、頭の言うことを聞けと言って、それで事が進んだんですからね。今は頭でも若い衆に向かって、すまないけどやってほしいとか、お願いしますとか、そんな感じでやってると思いますよね。」
なんと、今から40年近く前にも、すでに「最近の若い衆は、昔ほど言うことを聞かない」と嘆いていたのです。
しかも、頭が若い衆に「すまないけど」「お願いします」と頼むようになったというのですから、なかなかの変化です。
もっとも、今の感覚からすれば、何かを頼むときに「お願いします」と言うのはごく普通のことです。
それを嘆かわしい変化として語っているところに、時代の流れを感じます。
もしかすると、当時の若い衆は「昔の頭は命令ばかりだったけど、今は話が分かるようになった」と喜んでいたのかもしれません。
同じ出来事でも、立場が変われば見え方はずいぶん違うものです。
座談会では、ほかにも昔は太鼓台に置かれたおにぎりを食べていたのに、今では食堂で食事をするようになったとか、かつては祭りとなればどこの家でも食べ物を出してくれたとか、宮入が16日までかかったこともあったとか、興味深い話がいろいろと出てきます。
おにぎりが食堂の食事になったことまで時代の変化として語られているのですから、祭りの世界もなかなか奥が深い。
警察の規制が厳しくなったり、地域の人間関係が変わったり。祭りもまた、町の暮らしとともに少しずつ姿を変えてきたのでしょう。
「昔はよかった」は、いつの昔のことなのか
僕自身も、なんとなく「昔はもっと厳しかったのに、今の人は楽だなぁ」と思うことがないわけではありません。
しかし、昭和の人たちも同じことを言っていたし、明治生まれの人たちも「ずっと昔は厳格だった」と語っている。
この理屈でいくと、江戸時代はもっと厳しかったのだろうか。
そのまた前の時代は?
いったい、いつまで遡れば「本当に厳しかった時代」にたどり着けるのでしょう。
でも、安心してください。
どうやら古代ギリシャの時代から、人間は「昔はもっと厳しかった」「今どきの若者は……」と言っていたらしいのです。
そう考えると、今の若い衆が特別に変わったわけでもなさそうです。
むしろ、何百年も飽きずに「昔はもっと厳しかった」と言い続けている年長者の方が、よほど伝統を忠実に守っているのかもしれません。