4月12日(新暦)に鎌倉を出発した吉田松陰は3日後の4月15日に下田に到着しています。
これは速いのか遅いのか、実際に試してみないと分からない。
かといって、そんな余裕はない。
吉田松陰は、渡米の志を持ってはるばる下田までやってきますが、皮膚病の治療のため、蓮台寺温泉にある村山邸(現在の吉田松陰寓奇処)に宿泊します。
下田滞在中はほとんど毎日下田と蓮台寺を行ったり来たりという状況でした。
渡米しようってのにお肌を気にして温泉通いか、と思う方もいるかもしれませんが、人間だもの、仕方ないですよ。
というわけで、少しだけ松陰の気持ちに浸る実験をしてみました。
蓮台寺にある吉田松陰寓奇処から、下田での宿泊地だった下田屋旅館まで歩いてどのくらいかかるか、という単純極まりないですが実に有意義で奥深い実験です。
松陰先生の気持ちになって実際に歩くと歩かないとではこのコラムのリアリティに差が出てくると思うのです。

蓮台寺から中ノ瀬、高馬、西本郷を通って新田に入り、ごろさや、菊池医院の前を歩き、下田屋旅館まで、たぶん吉田松陰が通った道、ではないかと想像しながら歩いてみました。

ちょうど4km(日記のとおりちょうど1里)でした。
かかった時間は52分。
現在の舗装された道を歩いてこれだけかかりました。
実際、松陰は刀を腰に差して、荷物を持って、草鞋で歩いた、となると結構ハードだと思います。
消費カロリーは217kcl、おにぎり一個分らしい。
体感でいくともっと疲れました。
普段のランニングとは全然違った疲労がふくらはぎあたりにジンときました。
下田蓮台寺間往復で8㎞。
毎日これだけ歩いていたんですね。
そもそも松陰は4月2日に江戸を出発し、横浜での滞在が多少長かったものの、それ以外は大体一日40km弱を歩いて下田までやってきています。
4月2日から、自首する4月25日までの23日間、ほとんど歩きっぱなしです。
1か月の走行距離に換算すると、300㎞は超え、市民ランナーの世界で考えるとかなりのレベルです。
毎日10km走ると考えてみてください。
ランニングが趣味、という僕でも結構ツラい。
というか月間300㎞走れたのはこの5年で1度くらいしかありません。
僕の頭の中では「学者=軟弱」という固定観念がなんとなくありました。
今回の実験で分かりました。
吉田松陰先生、あんたタフだよ。
吉田松陰の下田滞在をもう少しだけ深掘りすると、4月21日に「松陰、ペリー一行の了仙寺訪問を見る」、とあります。
そうか、25歳の若き吉田青年が我慢ならなくて気分を躍らせながら下田の町を歩き、ペリー提督率いる一行を見に行ったか思うとミーハー感も漂って、なんだか嬉しくなります。

横浜では飲み屋で船乗りと一杯やって意気投合し、ペリー艦隊まで乗せてもらうことを約束しますが、酔った勢いだったのか、翌日船乗りが現れることはありませんでした。
地元の萩を出るときも、もう少し待てば許可が下りたのに待っていられなくて脱藩の形になってしまっています。
これだけ並べると、どうも思慮深いというよりは、思い立ったが吉日タイプの人間のようです。
逆に、25歳の若者が思慮深くってどうするんだ、と思ってしまうのは自分が歳を重ねたからだろうか。
やっぱり情熱と勢いは大事だ、と思う今日この頃。
吉田松陰の行程表を見る(PDF)