前回のオノマトペの続きです。
ネコの語源は、「ね~ね~」と鳴く可愛い子だからネコ、らしい。
ヒヨコも「ひよひよ」と鳴くからヒヨコ。
ほんとかよ、と思う人もいるかもしれません。
でも考えてみると、ネコは「にゃんこ」とも言いますよね。
どうも日本人は、可愛いものの最後に「こ」を付けたがるらしい。
カラスの場合は、「カラ」という鳴き声に、鳥を表す「ス」が付いて「カラス」だとか。
これもだいぶ怪しい気がしますが、「ウグイス」「ホトトギス」など、たしかに最後に「ス」が付く鳥はいます。
僕の祖父は地名の由来が大好きで、よくこう言っていました。
「音が先で、漢字は後」。
さっきのネコの話でいえば、「ね~ね~と鳴く可愛い動物」が先にあって、あとから中国由来の漢字「猫」を当てた、というわけです。
だから猫はネコと読む。中国読みなら「びょう」でしょうね。
少し話はずれますが、下田市の西に田牛(とうじ)という漁村があります。
漢字だけ見ると、「田んぼに牛がいたから田牛」と思ってしまいがちですが、実際は「とうじ」という音が先だった可能性が高い。
大正3年に出た『南豆風土誌』には、
「トージと発音する。三島大社への奉納文書では“多牛”と書かれている。
意味は不明だが、牛を多く飼っていたからではないか」
といったことが書かれています。
つまり、田牛と多牛は同時代に混ざって使われていたらしい。
はっきりした由来は分からず、「たぶんこうだろう」というところで止まっています。
わざわざ「トージと発音す」と書いてあるあたりが、いかにもですね。
須崎も、もともとは洲佐里(スサリ)と呼ばれていたらしいのですが、由来はよく分かりません。
須崎という地名は全国にありますし、高知県の須崎市は「すさき」と読みます。
もしスサリが元の名前だとすると、「スサ」は砂や洲など、海辺に関係する言葉っぽい。
「リ」は里のように、場所を示す響きがある。
また、「ス・サリ」と分けて考えると、サリには「削る」「失われる」ようなイメージもあり、「砂が削られる地形」という意味にも取れなくはありません。
時代が下るにつれて、スサリに「須崎」という字を当てたのでしょう。
この話は、祖父が『下田帖』49号に書いた「下田地名夜咄」が元ネタです。
図書館にありますので、興味のある方はぜひ。
祖父はこんな話もしてくれました。
和歌の浦は、もともと「ハカノウラ」と呼ばれていたのだ、と。
「ハカ」は墓を連想して縁起が悪いので、和歌の浦になったらしい。
有名な歌人が美しい海を眺めながら恋の歌を詠んだから――みたいな由来を期待する人もいるかもしれませんが、現実はだいたいこんなものです。
とはいえ、「ハカノウラ」と聞くと、墓場や死体を想像して少し気味が悪くなりますが、そういう意味でもありません。
祖父によると、「ハカ」は「ハバ」「ババ」とも言い、古語の「ハギ(剥ぎ)」に通じる言葉。
岩や山肌が剥がれ落ちる場所、つまり崩れやすい地形を指すそうです。
実際、あのあたりはよく崩れますから、地理的には納得がいきます。
今の時代の地名は、元の意味とは関係なく、見た目や響きの良さが優先されがちです。
分譲地でよく見る「富士見台」なんて、全国どこにでもありますよね。
「富士見ヶ丘」も山ほどある。
富士山が見える場所もあるでしょうが、多くは「見晴らしが良さそう」というイメージ重視でしょう。
たぶん、元の地名はまったく別だったはずです。
これを書いていて気づいたのですが、「富士見」って「不死身」も掛けてますよね、絶対。
土地ごとの風土や歴史が埋もれてしまうのは少し残念ですが、そうやって日本は高度経済成長を走り抜けてきた、ということなんでしょう。
土地の話、もう少し続けてみようと思います。
このコラムが出るのは12月15日。
祖父が亡くなったのは、ちょうど一年前の12月14日でした。
祖父は土地の由来を調べて、まとめるのが好きな人でした。
いろいろな媒体であちこちに書き残しているので、いつかそれをひとまとめに編集できたらいいな、と思っています。
それが僕なりの供養、ということになるのかもしれません。
祖父が亡くなる前日、医者から「そろそろ危ないかもしれない」と言われて病院に行きました。
祖父は中空をぼんやり眺め、二週間ほど前に会ったときよりも息づかいが荒く、ぜえぜえと息を吐くだけでした。
半年以上、言葉を交わすことはできていませんでしたが、伯父と僕が来たことが分かったのかどうか、祖父の目から涙がこぼれました。
僕はまだ、何ひとつ恩返しができていなかったので、こちらの涙も止まりませんでした。
いい歳して、情けないアダルトチャイルドです。
翌日、病院から電話があり、亡くなったと知らされました。
霊安室で横たわる祖父は、もう祖父ではありませんでした。
葬儀屋をどうするか、そんな話をしに母と伯父が部屋を出ていき、僕と祖父だけになった瞬間、思わず祖父に抱きつきました。
息はしていないのに、体はまだ温かくて、確かにそこに生命の名残がありました。
お風呂に入れてもらったこと。抱っこしてもらったこと。
史跡に連れていってもらったこと。保育園のお迎え。
アメリカに行くと言ったら、あまりいい顔をしなかったこと。
市役所に就職したら、やたらと喜んでくれたこと。
庭の畑仕事を、赤ん坊の頃から四十代になるまで、ずっと一緒にやってきたこと。
パワフルで、意外と女好き(不義なことはしていませんよ)だったので、正直なところ、勝手に「この人は不死身だ」と思っていました。
祖父は以前、僕が高校生のときにも一度、死にかけたことがあります。
そのとき、なぜか僕だけに遺言を残しました。
「艱難汝を玉にす」
「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」
それを頭の片隅に置きながら、とりあえず僕は生きています。
さて、それはそれとして。
「にゃ~にゃ~鳴く可愛い子だからネコ」の話ですが、人間と深く関わってきた動物といえば、もう一方の横綱はイヌですよね。
イヌは鳴き声と関係ないじゃないか、むしろネコ以上に人間に媚びてるじゃないか、と思うかもしれません。
でも、ほら。「わんこ」って言いますよね。ワンワン鳴くから、わんこです。
じゃあ、イヌの語源は何なんでしょう。
それは逆に、僕に教えてください。

