家族で遊んでいた一人の女の子が、救急車に向かって一生懸命に手を振りながら大声で「がんばれ~~」とぴょんぴょん飛び跳ねながら嬉しそうに連呼している姿を見て、なんとなくほんわかとした年末を感じました。
祖父が記した『地名夜咄』には、「間戸が浜(まどがはま)。
マトとは円形のことだという。丸く連なっている浜辺だったのだろう。」とだけ書かれています。
今は、まどが浜海遊公園という立派な公園になっているので、昔の様子を想像することはできません。
昔は国道もなく、その一帯が埋め立てられていなかったので浜辺沿いに道があった程度だと考えられます。
前回の話と同じく、「地名は音が先で漢字が後から付く」という説にのっとれば、
「丸い浜」→「マトガハマ」→「間戸が浜」という流れなのでしょう。
間にとびら状の何かがあったから間戸が浜(マドガハマ)、というわけではないのだと思います。
さて、江戸初期から歌い継がれてきた下田を代表する民謡、下田節の五番に「間戸が浜」が登場します。
下田節は全部で十番ありますが、四番以降は江戸後期に付け加えられた歌詞のようです(このことから最低でも江戸後期にはこの場所が間戸が浜と呼ばれていたことが分かりますね)。
下田節(一番)
「伊豆の下田に長居はェおよし
縞の財布が軽くなるェ
(はやし)
ヤアレ下田の沖に瀬が四つ
思い切る瀬に切らぬ瀬に
たつ瀬にやるせがないわいなェ
お!さ酔った酔った」
下田節(五番)
「行こか柿崎戻ろか下田ェ
ここが思案の間戸が浜ェ
(はやし)
ヤアレお前を捨てて仇枕
交わす心はなけれども
ェェ勤めの身なれば是非もなし
少うしゃ察しておくんなしようェ
お!さ酔った酔った」
下田節を実際に聞いたことがない方でも、「伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が軽くなる」や、「行こか柿崎戻ろか下田、ここが思案の間戸が浜」という二つのフレーズは、冊子などで目にしたことがある方もいらっしゃるかと思います。「伊豆の下田に長居はェおよし
縞の財布が軽くなるェ
(はやし)
ヤアレ下田の沖に瀬が四つ
思い切る瀬に切らぬ瀬に
たつ瀬にやるせがないわいなェ
お!さ酔った酔った」
下田節(五番)
「行こか柿崎戻ろか下田ェ
ここが思案の間戸が浜ェ
(はやし)
ヤアレお前を捨てて仇枕
交わす心はなけれども
ェェ勤めの身なれば是非もなし
少うしゃ察しておくんなしようェ
お!さ酔った酔った」
この下田節の五番「行こか柿崎……」の部分は、唐人お吉を題材に昭和初期に作られた「お吉物語」の一節、
「籠で行くのはお吉じゃないか、下田港の春の雨、泣けば椿の花が散る」
というこちらも有名な曲とごちゃ混ぜになり、下田節の五番はお吉の悲しみをうたった一節と世間では誤解されることが多いです。
そうではなくて、下田節五番の歌詞は、下田と柿崎の船宿で「うし」と呼ばれた女性たちを詠ったものです。
「行こか柿崎戻ろか下田、ここが思案の間戸が浜」という下田節の一節は、ハリスの駐在する柿崎の玉泉寺に行こうか行くまいか悩みつつも仕事だから仕方ないと腹を決めるお吉の姿を描写しているかのように、つい勘違いしてしまいますよね。
下田節を聞いたことがない、という方もいらっしゃるかと思います。僕自身だって、最後に生で聴いたのはいつだっただろうか。
まずは手軽にYouTubeで。
そして次に、あじさい祭などさまざまなイベントに下田芸者の方々が御出演されているので、それに足を運んでみる。
最後に、下田芸者を座敷にお呼びする、というのはいかがでしょうか。
僕は下田芸者で芸者遊びを一度だけ、体験したことがあります。
確か金毘羅船々だったか、一種のリズムゲームをやった記憶がありますが、生来のリズム感のなさから、緊張してまったく歯が立ちませんでした。
それでも、とても楽しい時間を過ごさせていただいたことを今でもよく覚えています。
地域に根差した伝統芸能や祭は、大切なものだと思います。
「残すか」「残さないか」の二択を迫られたら「残す」のボタンを押すに決まっています。
しかし、生活の中で、どれだけ自然に地域の人々とそれら伝統や祭が関わる余地があるのか。
その積み重ねが、結果として、その大切なものが未来に残るかどうかを左右しているようにも感じます。
近年は、地域の縁(えにし)が少しずつ薄くなり、隣近所に誰が住んでいるのか分からないことも珍しくない時代になりました。
防災訓練や地域の当番といった日常の行事も、負担に感じることがあるのも正直なところでしょう。
下田では白浜の三番叟がよく知られていますが、かつては市内のいたるところで三番叟が行われていたと聞きます。
それに僕が広報を担当していた頃には、8月11日の暑い時期に、加増野の山随権現祭幡廻し(長さ7mほどの竹を、15〜6人の若衆が境内を9回引き回し豊作と厄病退散を祈願する行事で市指定文化財)を取材するのが楽しみの一つでしたが、気がつけば、いつの間にか行われなくなっていました。
泥だらけになる男たちを見るのが、とても楽しみだった。
外から見ているだけなら、大事だとか、残したいとか、簡単に口に出せてしまいます。
でも、実際にその土地に暮らし、それぞれの生活を営んでいると、なかなか思うようにはいかないこともあるのかもしれない・・・
そんなふうに感じることが、たまにあります。
そういえば、まどが浜の海を眺めながら、ふと思ったのですが、ペリー艦隊の乗組員たちは、下田節を聴いたのかしら。

