「君の小宇宙(コスモ)はまだ燃えてるか?」 -聖闘士星矢より-
中学生のころ小遣いを貯めてテントを手に入れた。 このテントがあれば何処にだって行ける。 実際には自分の部屋の中にテントを張って生活するという、不自由を味わった。 けれど満足だった。それは俺のコスモが燃えていたから。
働くようになって手に入れた中古の小さな車。 この車で日本中駆け巡ることだってできる! でも故障が多くて財布からどんどんお金が逃げてしまった。 それでも俺のコスモは消えなかった。
そして40を過ぎてついに念願のカヌーを手に入れたのだ! 羨望の目でBePalを読みあさっていた30年近く前を思えば 目頭が熱くなってしまう。
そう俺のコスモはまだしっかりと燃え盛っているぜ!
桜が咲く頃、このカヌーを川に浮かべて花見がしたい。 「中年よ、山を捨て、川に行こう!」 と提案したら生温かく微妙な反応だったが「いいですよ」と言ってもらえた。 「山に登りたくない!」という僕の本心は筒抜けだが平島部長、アケシンさんは大人の対応なのだ。
実は川下りをしたのは2019年の春。 つまり去年のこと、まさか1年後の世の中がこんな状況になっているなんて、思いもよらなかった。 場所は南伊豆の青野川。 河津桜が終わって下流に咲くソメイヨシノが美しいタイミングをねらった。
前もって下見しておいた場所からカヌーを川へ下ろしいざ出航! 水深はほんの数十センチだが体重を気にする中年男3人を載せても問題なし!
終始ゆ〜ったりと僕たちは進む。
桜は毎年見るし、青野川にもよく来る。 でもこんなに水面に近い場所から桜を見上げるのは初めて。
桜咲く河原の小径をのほほんと歩く人たち。 のんきだね〜。 とっても幸せそう。 何というか、それは一つの絵のように見える。
彼らも水面をゆっくり進む僕たちを春の景色として眺めてる。 たぶん好意的に。
お互いがこの春らしい一場面を作っている素材の一部と言うことが、何だか面白い。
そうそう、橋を真下から見るというのも新鮮で面白かった。 橋の恥部を見た感があるのだ。
舟を河口にとめて僕たちは上陸してお昼ご飯にする。 同じ陸地でもカヌーから上陸すると何だかちょっと気分が違う。 フラーケ族の族長になったような、、そう僕は「小さなバイキングビッケ」を思い出してた。
今日のランチは進藤惣菜店のお弁当。 葱と新島のつみれ(魚のすり身)を入れた味噌汁も作った。 手を抜くところは抜いて、こだわるところはしっかりこだわる。 これ、主婦の知恵。オレンジページに書いてある。
そして画像をよくみて欲しい。
味噌をわざわざナイフで溶く。箸はあるけどナイフを使う。
自然な山男っぷりに惚れ惚れしてしまう。
これが下田低山部なのだ。
低山ドリンクはアケシンさんが桜が香る紅茶を淹れてくれた。 なんという気の利きよう。 伊達に某東急ホテルのフロントマンを務めてるわけじゃない。 無口な男がサラッと淹れる桜ティー。 惚れちまう。
そして平島部長は家でパウンドケーキを焼いてきた。 完璧な焼き加減。 みんなあまりにも器用すぎる。 これじゃ彼女や愛人はできまい。
河口から出発地点へ向けてまたゆっくりと戻る。 ほぼ流れが無いので上流に遡ってもまったく問題なし。
サイクリングしている外人さんがこちらを向いて微笑む。
「分かってるぜミスター。。。カヌーとチェリーブロッサム。そうさオレたちゃいかした風景さ。。でもユーだってナイスだぜ」
僕は心の中でミスターにそう言葉をかけた。
今年はコロナの影響で桜を見る人が激減した。 世の中が大変なことになっている。 でもアンドロメダに愛されたオレのコスモは萌え続ける(なんのこっちゃ?)。
次回はもうちょっと大きな船に乗って「低山部、海を渡り伊豆大島へ」の巻。
※最近Amazonビデオで暇な小3の娘と一緒に「聖闘士星矢」中毒になっているせいで文章に乱れがあることお許しください。悪いのはコロナです。
世界は海で繋がってる
今回も日常ですぐに役立たない,でも知ってるとちょっと楽しい雑学を紹介します.
下田で暮らしていると,下田港の船を何気なく見ますよね.クルーズ船や巨大なクレーンがついた船,帆船もたまに寄港しますね.その船は何という名前で,どのぐらいの大きさで,次にどこに向かうのか,知る方法がありますよ!
僕はiPhoneを使っているので,今後もiPhoneを前提に書いていきますが,おそらくandroidでも同じようなアプリがあると思います. もし興味がありましたら,App Storeで「Find Ship」で検索して,インストールしてみてください.広告が表示されますが,無料で利用できます.
起動しましたか? 初めに表示される画面は英語表示かもしれませんが,設定で日本語に変えられます.画面右に★やピンが並んでいますが,一番下の歯車を選択しましょう.下の方の「Language」を選択して日本語に切り替えます.
では,下田周辺の海を見てみましょう.色のついた三角形が船の現在のおおよその位置と進行方向を示しています. 「みどり=貨物船」「赤=タンカー」「青=旅客船」「橙色=タグボート」だいたいこの4色が多いです. 下田の沖に大きな船が見えますよ.神子元島のすぐ東側.海面より上に大きな船体が見えるから,タンカーではなく貨物船かな.さっそくアプリで確認. 「MORNING LISA」という名前の船.名前を選択して一番下の「詳細」を見てみましょう.その船のデータが記載されてますね.
まず知りたいのは目的地.この船は「JPYOK」と書かれてますよ.JP=Japan,YOK=Yokohamaなので横浜港ですね. JPの後がKWSなら川崎港,TYOが東京港,OSAが大阪港,ちなみに下田港はJPSMDです.
それから全長は231m,船幅が32mもありますよ!大きな船ですね.旗はPAN=パナマです. GWT:28084,GT:68701という表示の意味は何でしょうか.GWTは船に積むことの出来る最大積載量です. この船は2万8000トンも積めるのですね.GTは国際総トン数を表す数字です.船内の容積を基準に決められるので,船同士の大きさを比較するときは,GTを比べるといいですね.喫水8.6mというのは,貨物を満載したときに,船の底から海面までの高さ(深さ)のことです.
貨物船と比べていいのか,史上最大の海難事故で有名なタイタニック号は全長269m,船幅28m,総トン数46,328トンなので,いま見えてるMORNING LISA号はタイタニック号よりも大きいのですね.
画面上の検索のところに「DIAMOND PRINCESS」と入れてみましょうか.有名になってしまったダイアモンド・プリンセス号です.長さも総トン数も桁違いに大きいですね. おそらく現在のところ最大の客船は「SYMPHONY OF THE SEAS」です.23万トン近く,長さが362mで幅も66mというとんでもなく大きな船です. それからこれはもはや船というより工場ですが,「PRELUDE」は全長488m,幅74m,総トン数約50万トン.広さはサッカー場4つ分以上です!
2016年に下田に寄港したフランスのクルーズ船,「ル・ソレアル(LE SOLEAL)」は全長142m,船幅18m,喫水5.0m,総トン数10,700トンと比較的小さなクルーズ船でした.下田湾の入り口あたりに停泊し,乗客はボートで上陸しました.その理由は,下田港の船が着けられるところの水深が4mしかないので,喫水5mのル・ソレアルが接岸できなかったからです.
みなさんも気になる船があれば,「Find Ship」で大きさや行き先を調べてみてくださいね.
道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ
大島亮吉
東京にいたときは、常にひとりで、主に八王子・高尾や奥多摩方面を低山ハイクしていた。
素人がひとりで山を歩く危険性というのも時に感じないわけではなかったが、基本的に登山雑誌やガイドなどで紹介されている登山入門編的ルートに沿って歩いていただけであるから、リスク度はさほど高くなかったように思う。 ただ、いくつかの山を訪れているうちに、今まで訪れたことのない地を歩き山を登る、という”自分にとっての新たな経験”に静かな興奮を覚えつつも、ある種”先駆者たちがつくり上げた、安全性が担保された行為の確認”を行っているに過ぎない、という思いを少し感じることもあった。 そんなことを思いつつ、伊豆下田に移住してから、実はひとつ残念に思っていたことがあった。 それがやけに「ハイキングコースが少ない」ということである。 低山ハイクルートやハイキングコースばかり歩いていた自分としては、これでは気軽にハイクを楽しむことが難しい。「これだけたくさんの山があるのになあ」などと思いつつ、寝姿山周辺や高根山をひとりで何度か登ったりしていたら、そのうち下田低山部メンバーとしてお声がけをいただく機会に恵まれた。 低山部では、当初”下田”の”低山”という条件で登る対象をピックアップしていた。よって2回目以降、藤原山・谷津山・相ノ山という一般的には知られていない(というより地元の人でもその名前に首を傾げたりする)低山に訪れることとなったわけであるが、当然ハイキングコースではないので、最初は生活用の道があれど、途中からは獣道を歩いたり、方角だけ定めて山の傾斜をただただよじ登る、などという機会に恵まれることとなった。 地図とコンパスと己の知識と経験でサクサク歩いていく、優しそうで何気にスパルタチックな平島部長がいるから心強いわけではあるが、自分ひとりだったらこれはちょっと怖いなあ、なんてシーンにもいくつか遭遇することとなった。 相ノ山のときは生い茂った草むらの中で方角が確認できなくなったし、あとは、おそらく狩猟のものと思われる発砲音がやたら近くで聞こえたりするのも、実はちょっと怖かったりする。 「“道”なきところを進むのは困難と引き換えにドキドキワクワクするけど、やはり”道”がある尊さっていうのもあるよねー」 そんなことを思いながら、山の道を歩いていたときに、ふと頭に浮かんだのが日本の近代登山の先駆者と呼ばれる大島亮吉氏の言葉。 氏は、慶大山岳部の中心メンバーとして活躍。槍ケ岳や奥穂高岳、北穂高岳などの冬季初登の記録を残しつつ、諸外国の登山関連文献を研究しながら多くの論文や文章を執筆し、当時の登山界に大きな影響を与えた人物である。Copyright© 伊豆下田100景「俺たち低山部」 Shimoda Low Mountain Climbing Club
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