毎年アジサイの時期には下田公園へ足を運び、写真を何枚も撮っていたけれど、カタツムリを見たのは本当に久しぶりでした。
保育園の頃、先生や友達と下田公園に行き、手に乗せてカタツムリのぶよぶよ加減を味わったことを思い出し、つい先日のことのように感じますが、もう40年以上前の出来事か。
下田公園のアジサイはいつから?
さて、いつ頃から下田公園にはアジサイが咲いていたのでしょうか。
下田公園のアジサイをペリー提督やハバーシャムたちも楽しんだのか、というと、その可能性はかぎりなくゼロに近く、昭和40年代にアジサイは下田公園に植栽されたようです。
昭和48年7月号の広報しもだに「第3回あじさい祭」という写真がありましたので、逆算すれば昭和46年に第1回あじさい祭が開催されたとみてよいでしょう。
旧町出身の母親(昭和29年生)に聞いてみると、子供の頃はアジサイのイメージはなく、ツバキやサクラが咲いていて、お花見をした記憶があるとのことでした。
「花いっぱい運動」とアジサイ
別のことを調べるため、祖父のファイルを漁っていると、森義男さんをはじめ数名の座談会(昭和52年)の記事を見つけました。
森義男さんは黒船祭を企画立案した方で、この人なくして現在の下田市はなかったのではないかと思います。
この方のことはいつか語るとして、今回はその座談会の記事にアジサイ植栽のことが載っていたのです。
昭和39年に、有志で下田公園に樹を植えたいということで草刈りをして整地し、子供たちの卒業記念に植樹を行い、それを4〜5年続けてからアジサイも植えたそうなのです。
そのアジサイを見た旅館組合の人が「もっと植えよう」と提案し、西洋アジサイをさまざま植栽した結果、観光的には成功したと書かれていました。
昭和39年から整備を始め、4〜5年植栽を続けたとありますから、第1回あじさい祭が昭和46年に開催されたというのもうなずけます。
この座談会には「花いっぱい運動」を今でも続けていると書かれていますから、段々とアジサイが広がっていったのでしょう。
昭和41年12月号の広報しもだには「花を植える運動、各所でさかんとなる」という記事もあります。
当時の下田市では、花を植えてより良い郷土にする活動が盛んだったことが分かります。
60年前から受け継がれる思い
今から約60年前の「花いっぱい運動」が今でも息づき、今年もきれいなアジサイを楽しめることに感謝したいと思います。
今年は、下田公園以外でもアジサイを楽しみました。
今年は了仙寺の山門前で開催された竹あかりの写真を撮るために、久しぶりに三脚を担いで撮影しました。
あじさい祭終了後に伊豆急下田駅ロータリーで開催されたアフターあじさい祭も堪能しました。
先人の素晴らしいひらめきのおかげで今があるのだと思いつつ、僕は60年後の未来のために何ができているのだろうか。
そんなことを考えると、アジサイの紫が少し切なく見えてきます。