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下田に暮らし始めて早や十二年が経つ。

昔は風の旅人だったのに、年々、この町が好きになってしまって、最近は、尻に根が生えてしまったかのようである。

<たまに世界のどこかに旅しても、「下田のほうが、海がきれいだよね」とか、つい下田の話になってしまうため、愛妻との間では、海外での「下田話禁止令」が発令され、現在に至っている。

暮らす前には、年に数回この町を訪れていた。おもに夏、海水浴にだ。

都会に暮らしていると、白いビルと黒いアスファルトに囲まれている。

それが伊豆半島を南下してくるとどうだろう。

森の緑と、海と空の青、そこに白い雲が顔を覗かせる。

河津あたりまで来ると、都会との色の違いに、ハタと気がつく。

実は世界は、緑とブルーの二色に支配されていたのだ。

するととたんに頭がすっきりとなる。

体の中の細胞が、プチプチと音を立てて分裂し、新しい細胞ができるような悦びが、身体の芯のほうから湧き上がってくる。

そして全身に、眠っていた人間性、野性に近い活力が漲ってくるのだ。

ある年の夏、下田の駅前を歩いていたら、真っ黒に日焼けしたおっさんが、上半身裸の半ズボン姿で、禿げ頭に鉢巻をして、ちびたサンダルをはいて闊歩していた。

「そんなんでいいのか?!」

僕は唸った。

いくら暑いといっても、そこまでいい加減な恰好で通るのか?

土産屋では、ビキニの上に薄いカーデガンを羽織っただけの若い女性たちがいる。海辺に近い国道沿いのコンビニでは、みんなほぼ水着姿だ。上半身裸もめずらしくもない。浮き輪をドデカいネックレスのように、首に巻いている子供たちもいる。
どこかの国の裸族のファッションに見えなくもない。

なんたる自由!

昔付き合っていた女に、「あなたって、裸が一番似合うわね」と笑われたことがある。

それはともかく、この町はハダカでいいのだ!

下田の人は、「そんなことありません」とお上品に言うかもしれない。

でもこの発見が、僕に移住を決意させた最大の理由であった。

Photo:Jun Sato

Photo:Jun Sato

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岡崎大五 プロフィール

岡崎大五(おかざき・だいご)

1962年、愛知県生まれ。
約80カ国を巡る旅の後、30歳で帰国し、海外専門のフリー添乗員として活躍。その後、自身の経験を活かして『アフリカ・アンダーグラウンド』『北新宿多国籍同盟』『汚名 裏原宿署特命捜査室』など、日本と海外事情を絶妙に対比、融合させたエンターテイメント作品を発表している。
○年より下田に移住。 執筆活動を続けながら、下田暮らしを満喫中。