伊豆半島の東海岸を車で走るたびに思い出す。 あの熱き冒険の日々。 冒険は形を持っている。 その形、どこから見ても伊豆大島なのだ。
時は2年前の冬。 コロナはまだニュース画面の向こう側にいた。 イタリア北部で続々と感染者が現れていた時期だ。
ある時、この時期格安で伊豆大島へ渡れるという情報を得た。 今まで何千回、いや何万回ともなく目にしている伊豆大島。 だがその地に足を踏み入れたことはない。
あれは36年前の秋、昭和の時代。 当時小学生だった僕は海を隔てた伊豆大島の三原山を唖然と見ていた。 そこでは赤い溶岩が勢いよく吹き上がっていた。 その後僕の元にお土産としてやって来た大島の溶岩石。 ゴツゴツ、アナアナ、イタイタって感じの黒い塊。 地球の奥深くから僕の手の中へ。 山男となった今、急にあの溶岩石を思い出したぞ。 ようし、登ってやろうではないか! 溶岩石が噴き上がった地獄の穴を覗いてやろう。 怖くはない! だって今の僕には心強い山仲間がいる。 それに三原山は優しくなだらかな形をしている。 険しくはない! よし!気に入った!
一泊二日の山登り。テントを持って船に乗る。 船は東海岸の稲取港から出航する。季節は1年で1番寒いとき。乗客はわずかだ。 だからこそ格安料金なのだろう。 山男たちが乗り込んだのは「セブンアイランド友」というくすぐったい名前の船。 ちなみに帰りの船は「セブンアイランド愛」。 いったいどんなネーミングセンスなんだ?って心配になっちゃう。
「愛」とは無縁な山男の俺たち。 色調も俺達とは対極にあるピンクの水中翼船だ。 アメリカの航空機メーカーが開発したという船はまさに飛行機のような乗り心地だ。 およそ40分で島の北端にある岡田港へ着岸した。港にあった昭和の香りプンプンの食堂で腹ごしらえをして予約しておいたレンタカー屋へ。 1日目は南端にある波布と言う部落へ向かう。 ここには海沿いに無料の「トウシキキャンプ場」があるのだ(要予約)。
山男達は途中寂れた観光スポット「椿園」に立ち寄る。 演歌のBGMが山男を迎えてくれた。 恥ずかしながら都はるみの「アンコ椿は恋の花」は伊豆大島の歌と言うことをこの時初めて知った。
ところで、アンコってなんじゃ?
アンコは姐さんと言う意味らしい。 が、施設の壁に貼ってある着物姿に素敵な笑顔のアンコ達ははどう見ても婆さんなのだ。
大島を車で走っていたら海のそばにBBQ場を見かけた。 どうもこのBBQ施設は無料らしい。 まるで町にある公園のような扱い(事前申し込みが必要)。 この日お世話になった海沿いのキャンプサイトも無料。 管理人も誰もいない。 芝生の上にポコポコと無造作にレンガ作りのBBQ台もある。
伊豆ではどこもかしこも「BBQ禁止!」「キャンプ禁止!」「打ち上げ花火禁止!」 駐車場なのに「駐車禁止!(夜間の)」。 さらにコロナのせいでこの傾向に拍車がかかっている(飲食店で私語禁止とかね)。 どうしてこれほど日本人は「禁止」が好きなのか。 「誰にも縛られたくないと〜」って歌ったじゃないか。 尾崎の魂を忘れたのだろうか? この「禁止」という文字使用こそを「禁止!」にしてやりたい。
地元の商店で宴の食料を調達する。 手作り惣菜と店主が捌いた獲れたばかりのマグロを刺身にしてもらう。 イルカの煮物!にムロアジのくさやも仕入れたよ。
ジョンとヨーコ トムとジェリー タッキー & 翼 オッサン & クサヤ
みんな素敵なコンビだ。 俺たちゃ世界2大臭いもの対決じゃ。
シティーボーイのアケシンさんが伊豆に移住して好きになった明日葉は大島こそが本場。 天婦羅にしてあげたい。 そして酒はやはり島焼酎(麦焼酎)! これを炭酸で割ってグビグビやるのだ。この夜俺は大切な事に気がついた。 誰もいない広々したキャンプ場でクサヤを焼いてもちっとも臭く無い。 これはどう言うことだ? 「うわぁ〜、くっせ〜!」って女の子のようにきゃーきゃーやりたかったのに大したことないのだ。 美味しいけれど、物足りない。 やはりクサヤは窓を閉め切って文句を言われながら密室で焼くべきなのだ。 ゴキブリもトイレの便座に座ったタイミングで遭遇すれば恐ろしさ倍増だものね。 何事もタイミングなんだ。 クサヤからも哲学を引き出してしまう我が山男力(やまおとこりょく)に感心する。
大島の二日目は二日酔いでスタートした。 今日は三原山にアタックする日だ。 まずは車で三原山中腹にある大島温泉ホテルまで行く。 ここからバスに乗り換えて登山口まで行く予定だ。 だが、計画を立てた平島部長の言動がどうもあやふやになってきた。 結局バスはないらしい。 激しい憎しみを覚えたが仕方がない、ホテルから登山口まで約3kmを歩く。
登山はカルデラのふち(外輪)から内側へ向けて始まる。 比較的平らな原っぱのような道が嬉しい。 山男たちはぎこちなくお喋りしながら舗装された遊歩道を歩いていたが、道は火口に向けて急激に勾配がキツくなる。 途端に僕は無口に。 道はジグザグになり高度を上げていく。これは辛い。 2月だがあまりの汗にTシャツになり、後向きに歩いたり辛さから逃れようとあがく。 大島に来たことを激しく後悔し始めたその時、鷹のごとし鋭き山男の眼光は、一条の光を見出したのである。
ワレ、山ガールヲ、ハッケンセリ!
「あ、あれは、、山ガールではないでしょうか?」と僕。 「・・・そのようですね」とアケシンさん。 「・・・・・・」と平島部長。
下田低山部の記念すべき山ガールとのファーストコンタクトである。 やはり大島は島といえども東京都。 来た甲斐があった。 山男たちは歩調を早めて無言で山ガールを追い抜くのであった。
山ガールにも会えたし、このまま下山したい気持ちだったが三原山の頂上はもう直ぐそこである。 山頂にある三原神社で恋の成就を祈祷し、噴火口の周りを一周する。 これをお鉢巡りと言うらしい。
噴火口やその周りではモクモクと白く蒸気が吹き出している。 直系350m、深さ200mもある巨大な穴は赤銅色、まさに地獄の入り口って感じである。 間違ってでもこの穴に落ちたくはない。
風が強くて寒いが視線を上げて見渡せば、ほんとうに素晴らしい景色が広がっている。 海の向こうには伊豆。 伊豆から見ると島はポツンと海の中にあるのだが、島から見ると伊豆はどこまでも続く大きな陸地。あいだにある海はまるで湖に見えてくる。 この見え方の違いが興味深い。 そして何より驚いたのは雪化粧をした富士山が「どで〜ん!」と、ばっちり見えるのだ。
なんと!島民は伊豆の向こうにある富士山を眺めながら生活しているのか! 知らなんだ! しかも大島からは千葉も見えるのだ(館山あたりだろうか)。 これも知らなんだ!
山男たちは三原山の火口を後にし、裏砂漠と言われる荒涼とした砂利道を大島温泉ホテルへ向けて歩き出した。 ちなみにこの裏砂漠と言われる広大な土地は、名前から想像する砂の砂漠ではなく
真っ黒で恐ろしいほど荒涼とした場所である。 その広さと風の強さに恐怖心が湧き上がる。広すぎて正直言って怖い。 きっと僕の前世はネズミかなにかだろう。 こういう圧倒的景色というのは外国にあるものだと思っていたので驚いた。
下っていくと少しずつ緑が増えてくる。 やっとのことで大島温泉ホテルにたどり着く。 約12kmの道のりであった。距離でいうと下田~河津町くらい。
温泉ホテルには立寄り湯もある。 ついさっき制覇した山を眺めながら露天風呂に浸かる。 格別であるね。 熱い湯船の中でくたびれた脚がジンジンと痺れて疲れがほどけていく。
最高の景色と異世界的な裏砂漠。そして山ガール、そして温泉。 最後の急坂には閉口するけど素晴らしいトレッキングだった。 このようにして僕たちの三原山登山は終わった。
三原山噴火の周期は36年~39年。 2022年は前回の噴火から36年目にあたる。 この景色は次の噴火で変わってしまうのかもしれない。
伊豆大島。 どこかのんびりしている椿と溶岩の島。 そこから見る伊豆は僕が見たことのない形をしていた。 視点を変えるって面白い。 コロナ騒ぎ、ウクライナ戦争。 何かがなければ昨日と今日の違いも曖昧な、 どこを切っても区別のつかない羊羹のような僕の人生。 大島は「栗蒸し羊羹」の栗的に形のある嬉しい出来事だった。
今日も伊豆の海岸線を車で走る。 窓越しに見える島。 大島の思い出はその形とともにいつまでも海の上に浮かんでいるのだ。
目指すは10合目?
日本一の富士山に登ろう!と思ったとき,どこから登りますか? 伊豆から一番近いのは,サファリパークの上にある,富士宮口5合目登山口ですよね.富士山の登山口は4つあり,富士宮口の他に,吉田口,御殿場口,須走口があります. では,どこから登るのが標高差が最も小さいと思いますか?すべて5合目なので,同じだと思ったら大間違い.富士宮口5合目の標高は2400m,吉田口は2300m,御殿場口(新5合目)は1450m,須走口は2000mなのです.同じ5合目でも富士宮口と御殿場口では950mもの差があります.
何合目というのは誰が決めたのでしょうか.山を管轄する環境省には定義はありません.日本山岳ガイド協会によると,おそらく江戸時代前半に作られたもの,ということです.それ以前は一般の人には登山という概念がなく,修験者だけが山に登っていたと言われています.江戸時代に富士講など信仰による登山が一般化し,多くの人が登るようになり,その目安として合目が設定されました.今の富士宮口5合目は,明治時代には3合5勺.御殿場口の新5合目は当時は1合目.時代によって位置が移り変わっているようです.
さらに今の富士宮口5合目が2400m,6合目2490m,新7合目2790m,元祖7合目3030m,8合目3220m,9合目3400m,9合5勺3550m,富士宮口頂上3710mとなっています.新7合目を過ぎて,次に到着したのが元祖7合目なんて,疲れた体にがっかりですよね.各合目の間の標高差は均等ではなく,登山の所要時間が同じになるわけでもなく,どのように決まっているのか定かではありません.でも,10合目は頂上です.
しかし,元祖7合目詐欺よりもっと恐ろしい山が日本にはあります.岐阜県と長野県の境にある恵那山はなんと頂上が20合目.知らずに登ると騙されたような気分になるかもしれません.その逆で,福島県にある磐梯山は頂上が5合目.10合目を目指すと拍子抜けするかもしれませんね.
ちなみに,下田低山部第1回で登頂した大平山の登山道には,合目ではなく何丁目という石柱がありました.江戸時代の長さの単位で1町は現在の109m.丁は町の省略文字なので,登山道の約109mごとに石柱が立っているということなのでしょう.
山登りはどんな低い山でも、ある種の極限状態になり、人の本質を見せてくれる
市毛良枝
自分はおそらく1000m以上の山に登ったことがなくて、もっぱら低山でしか”登山”という行為を楽しんだことがない人間だから、いわゆる標高が高い山に登ったときに、己がどういったことを思い、どのような行動に出るのかは未知数なのだけれども。
静岡県修善寺出身で、女優・タレントとしてはもちろん、女性登山家としても知られる市毛良枝さんが言わんとするところは、なんとなく理解できる気がする。 例えば、自分が下田に移住してから何度か足を運んでいる下田富士や高根山。高さとしては全然高くない山だけれども、その地で脚を動かしていると、その時々の自分のメンタルや体の調子を直に感じることは、日常で生活しているときと比較してみると、やはり容易い気がする。因みに、普段ほとんど体を動かしていない身だと、10分も山を登ればかるーく”ある種の極限状態”モードに突入してしまうわけでもあるが…(ああ、お恥ずかしいかぎり)。 自分の場合、誰かと一緒に山を登っているときは、ほぼほぼ喋らずに淡々黙々と歩を進めているわけだが、一人で歩いているときはわりとブツブツとなにやら呟きながら歩いていることが多い気がする。そんな行動傾向は、おそらくは、普段の生活でも複数の人たちといるときは積極的に口を開かないくせに、一人でパソコンに向かってこうしてキーボードを叩いていると、あれこれ言葉が次から次に湧き出てくる、”アケシン”という中年おっさんの本質ときっと無関係ではないことだろう。
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