下田の夏祭り 太鼓祭りの思い出 ~御神輿~

2011年 8月 7日

下田の夏祭り 太鼓祭りの思い出 ~御神輿~

お祭といえば御神輿

道具の太鼓橋が成功した瞬間

道具の太鼓橋が成功した瞬間

下田の御神輿は800kgほどあるらしい。中老(若い衆を上がった年配)と呼ばれる方々が町ごとに担ぎ繋いで町中を練り歩くのですが、この御神輿の前に供奉道具、通称「道具」と呼ばれる四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)を載せた道具が四基、榊の木を載せた道具が二基、鉾(ほこ)五基の11基の小さな御神輿?(本神輿の為の供奉道具です)を各町の若い衆が担ぎ巡行します。

この11基を繋げ、アーチ型に上げる太鼓橋。2日間にわたり町内何箇所かで上げるわけですが、これが見所、太鼓祭と呼ばれる由縁らしい。

御神輿に魅力を感じ始めたのは、多少色気づいた中学生頃からだったように思います。

それまでは若い衆と見物人の凄さに圧倒され、子供は埋もれてなかなか見れない、もみくちゃにされ踏み潰されかねない。

御神輿は神様が乗っておられるのだから見下ろしてはいけない

高いところによじ登って見たいけど、見つかったらきっと怒られる。2階から御神輿を見下ろすと、神輿ごと家に突っ込んで来るなんて言われました。昔は実際あったとも聞いております。

怒られるだけならまだしもバチがあたる。それは嫌だと子供の頃はあまり御神輿に近づかなかったのかもしれない …。だから子供の頃の記憶は、御神輿ではなく太鼓台ばかりなのだろう。

地方によって違う神輿の掛け声

荒々しく道具を左右に振って威勢の良さを競います

ところで神輿の掛け声って、歌や本に出てくるのって「ワッショイ、ワッショイ」なんですよね。地方によっていろいろなんでしょうけど。下田は「ソリャッ、ソリャッ」とか「ホリャ、ホリャ」なんです。

和を背負う → わっしょい が関東では多いようです。近年では「セイヤ、ソイヤ」などになったところも多く見られるようですが、下田の掛け声の起源はなんでしょう?わからなくてスミマセン …

話が逸れました。

道具は威勢がいい。4人で担いで時には走り、時には跳びはね、勢いついて突進してくることも。我町内だとついご挨拶?の寄り道をして、責任者に「早くしろー!」なんて怒鳴られたりしながら練り歩きます。道具どうしをぶつけ合い、先端につけた榊や鉾、四神が破損することも。

観衆も担ぎ手も心が1つになる瞬間

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道具どうしを繋ぎ、担ぎ手の気持ちも繋ぎます。

下田太鼓祭りでは、日に数回太鼓橋をあげるのですが、これが祭りの醍醐味!予定表をチェックして可能な限り全部見たいです。毎回キレイなアーチができれば良いのですが、11基の道具を繋げて、両端から押し上げるのですから簡単ではありません。この時ばかりは皆真剣!狭い道だったり、電線に引っ掛かりそうになったり、しかも両端を地面につけるのは御法度。

道具が上がり始めたら、一斉に両端を固め、道具を押しているのか人を押しているのか、両方なのでしょうけど … とにかく崩れないように、皆がもみくちゃになりながら太鼓橋を上げるんです。

観衆も一体になり、体制が崩れそうになったりする度に一喜一憂。綺麗に太鼓橋が上がった時は、それはもう嬉しくて嬉しくて拍手喝采!!

太鼓台をあげている若い衆も、誰もが満面の笑み。身体はもうボロボロで疲れてマヒしかけてるのかもしれないけど、良い笑顔を見せてくれます。

もう一つの祭りの華 本神輿!

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総重量1トン近くの本神輿が肩に喰いこみます。

若い衆とは打って変わって、中老と呼ばれる方々が担ぐお神輿はどっしりと重厚。さすがに跳びはねることはできませんが、重さに耐えながら皆さん息を合わせて進んでいきます。ソリャソリャの掛け声も2オクターブほど下がり落ち着いた雰囲気!?

片側に12~15人くらいでしょうか?30~40人ほどで担ぐのだと思いますが、人はそれぞれ背の高さが違いますよね。背の高い方が前になり順に低くなっていくのですが、その先端の一番目立つ場所を花棒(華棒・先棒・鼻棒とも)と言います。この花棒を担ぐ人は、あまり背が高すぎると腰をかがめたりで辛そうです。

私は女性なので実際担いだことはありませんが、皆さん肩がパンパンに腫れ上がるそうです。

子供の頃若い衆で面倒見てくれたお兄さんたちが、気付いたら中老になっていて、いつの間にか同級生も中老になっている。中老が担ぐ御神輿を見ると、自分も確実に年を重ねていることに気付きます。

今年は太鼓祭のカレンダーが発売されました。祭をこよなく愛す下田っ子らしく、8月から1年が始まるカレンダーです。8月に新しい年となり本番を迎える、その後は今年も祭が終わった、さあ!来年の祭も頑張るぞ!って思いが詰まってます。

本番直前。今年も許される限りお祭を楽しみたい!

追記

前回のブログ記事:下田の夏祭り 太鼓祭りの思い出の中で触れた、宮入前の太鼓の待ち時間に唄われていた歌についてですが、太鼓台に付き、合いの手を入れたり三味線を弾いてくれていたのは、昔はほとんどが芸者さんでした。温泉街でも知られた下田には、芸妓さんも多くお祭にも参加してました。それで唄われたのがお座敷遊びでの唄でした。

他にもノーエ節(多分下田で唄われていたのは三島農兵節)の替え歌?などなど、道路にゴザを引いて、芸鼓さんの伴奏でお座敷遊び!なんとも粋な待ち時間だった … それを知ったのは少し大人になってからのことでした。

この記事を書いた人

むさし

駅前の国道から一筋街中に入った商店街の中ほどでうどんやを営んでおります、お年寄りは「新田のうどんや」と呼びますがもちろんお蕎麦も打っております。下田に生まれ、途中関西方面を放浪してまた下田に帰ってきました(すべて昭和の時代のこと)引きこもりぎみな今日この頃、徘徊といわれない程度に街を探検してみたいと思案中。
他にもこんな記事を書いています。

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