「焚き火缶」という悪女に引っかかった。
ある晩、いつものようにyoutubeで大好物の焚き火動画を観ていた時のこと。 男が独り山奥で火をおこしていた。 男はマッチもライターも使わずに慣れた手つきで火打ち石から小さな火種を作り出した。 息を吹きかけると小さな炎が生まれ、その炎は順序よく育ち薪に移り始めた。 静かな森にパチパチと木の燃える心地よい音だけが響く。 静かな夜に男の息が白く吐き出される。 おもむろに黒い蓋付き容器に水を入れ、勢いのついた火の中にそのままツッコんだ。
僕は缶ビールを飲みながらぼーっとその様子を観ていた。 最初はなんてことのない光景に思えた。
でも気がつくとジワジワと、とてもゆっくりと体の奥底に深い衝撃を感じたのだ。 「こ、これは、、かっけぇーー!!!」
焚き火の上に網を置きその上に載せるのではなく、火の中にただ突っ込む! 何という直線的なっ! なんとワイルドなっ!
その容器はもう煤で黒光りしているではないか。 洗っただけでは簡単に落ちない覚悟を決めた煤汚れ。
名前を「焚き火缶」と言うらしい。
そんなわけで(どんなわけで?)翌日にはヤマトさんが我が家の玄関を開け「アマゾンさんからお届け物で~す」と言うことになった。
形は小学校の給食で使うおなじみの”大食缶””小食缶”あんな感じ。 大きさは小鍋程度でアルミ製だ。 このアルミのチープさがガシガシ使え最高だ。 これは気さくないい娘に出逢ってしまった。
すぐに台所で味噌汁を作った。 あれ?何か違う。 屋外でアルコールバーナーを使い鍋もやってみた。 あれあれ??やっぱり違う。
あの動画と何が違うのか?・・・思い当たったのだ。 この鍋は煤で「化粧」させないといけないのだ。 気安い娘と思っていたのに意外にも手のかかる悪女だったのだ。
そしてついにその日がやってきた。 舞台は稲梓にある大平山だ。
さてさて、下田低山部の初登山は平島部長オススメの稲梓にある大平山に決まった。
部長が言うには山頂に素晴らしい空間があるらしい。
生まれも育ちも下田だが初めて聞く名前。
数年前に下田に移住した平島部長に教えてもらう。
以前にも書いたが、僕は山登りが好きではない。
だが我が悪女「焚き火缶」に煤化粧をさせる。それだけを夢見てやってきた。
その為なら進んで汗もかこう!
太ももプルプルも甘んじて受入れようぞ!
僕が担当する記念すべき初低山ランチにはちょっとハイカラなモノを用意してあるのだ。
国道を下田から稲梓、そして河津方面へ向かい”気まぐれ売店”近く、あずさ山の家が見えたら右側の山道へ入った。
そのまま車で走ること約1分弱。
数台が駐車できるホタル池と言う広場に車を停めた。
緑に覆われたその場所から右側にかけて綺麗な山水がチョロチョロと流れる沢がある。
わさびを栽培していたのかもしれない。
地味な性格の男が何人集まっても会話は弾まない。
それにまだお互いを良く知らないのだ。
きっといつかは肩を組みながら登山する日が来るかも知れない。
とりあえずは出発前にパシャリ。
部長から大まかな行程を伝えられ、いざ山頂の素晴らしい景色を求めアタックを開始する!
10月の晴れ渡ったとても気持ちの良い日だ。
暖かな伊豆の秋。
紅葉は無いけれど、秋の柔らかな陽射しは低山植物(※)を輝かせる。
山男3人はおおむね黙って歩いた。
※低山植物・・・低山・平地と言う環境でしか生きることのできない植物たち。
要するによく見るそこいら辺の植物だ。杉、竹、松、その他雑草など。
途中で幾つかの倒木に悩まされるが高い技術を持つ僕たちヤマオトコは楽々とクリアーしていく。
山道は倒木が数箇所ある他は基本的に整備されていて歩きやすい。 分かれ道も1,2箇所あるのだが案内板が出ているので大丈夫だろう。
突然、「キャーー!」と言う何やら女性の叫び声が響いた。 も、もしや山ガール!? ハッとして部長の顔を見ると、「鹿の鳴き声ですね」と事もなげに教えてくれる。 女性の叫び声そっくりのその鳴き声は山男たちには忌み嫌われているらしい。
時折、鹿の声がする以外は山の中はとても静かだ。 心地よい風が葉を揺らし、自分の息遣いと靴の裏で枯れ枝が折れる音しかしない。 立ち止まると自分の心臓の鼓動がよく聞こえる。
山登りに興味がない僕だが、意外に良いものかも知れないと思えてきた矢先、何やら雲行きが怪しくなる。 この雲行きとはあくまでも文学的比喩表現であって、空は終始雲のない最高の天気だったのだが。 比較的楽々と歩みを進める男たちの前に大きな試練が訪れた。 まさに三人の男の心の中に暗雲が立ち込めたのだ。
先の見えない階段!! それもかなりの急勾配だ。 これはいくら蒲田行進曲のヤスでも嫌になってしまうであろう延々と続く階段登山。
もちろん僕もアッという間に心がポキポキ簡単に折れた。。 いくら銀ちゃんに頼まれたってこれは辛い。
終わりのない階段を登りながら、この階段を作った人たちのご苦労に思いを馳せると、さらにぐったり疲れてしまう。 これは地獄の階段登山だ。。
滝のように汗が流れ、太ももはプルプル。 僕の隣りにいるこのシティーボーイ・アケシンさんの余裕顔が憎い。 きっと東京の地下鉄や駅の階段で鍛えてきたのだろう。 下田の町にはエスカレーターはもとより、階段も数えるほどしか無いのだ。
その時、何かが僕に取り憑いて勝手に何かを呟いた。
「皆さんが・・ハァハァ、、もしよければ・・ハァハァ、、ここが山頂ということでも、、 ハァハァ・・僕は・・良いですよ。。ハァ~~」
恐山のイタコ状態の僕はチラリと平島部長を見るが、僕の言葉はにこやかに黙殺された。
そんな部長だが、山頂までの距離を聞くといつでも「ピークは越しましたよ」「残り僅かです」などちっともピークを越えて無くとも、残りがまだまだでも優しい嘘をついてくれるのである。 部員のモチベーションを上げようと努力する姿に胸キュンである。 しかもうなだれる僕に進駐軍のようにカバンからチョコレートをくれるのである。 胸キュンどころか、胸が熱くなってしまう。
チョコレートは正直言って溶けかけていたが、 僕は部長の夢を叶えたい。 そう思い再び立ち上がった。
頂上手前の鬼のような階段をヒーヒー泣きながら登ったらそこには素晴らしい景色が待っていた。
山頂から下田方面を望むと太平洋が広がる絶景! 登山をして海を感じられるのは伊豆ならではなのだ。
そして僕は驚愕の事実を発見した。 下田の町方面にちょこんとある小さな突起。 平島部長に確認するとやはりそれは「下田富士」だと言う。
何と!初登山で富士山(下田の)超えなのである! 小学生の時、校歌で歌い続けた「北にそびゆる下田富士~♪」 我ら下田市民が崇める霊峰下田富士。 何てことはない、大平山はもっとそびえていたのである!
ひとしきり絶景を堪能したら低山ランチの時間である。
今回の担当は サワチ(僕):低山ごはん。 部長平島:低山スープ。 アケシン:低山ドリンク。
備え付けられたテーブルにみんなニヤニヤとそれぞれの荷物を引っ張り出す。 ちょっとした登山なのに、リュックサックをパンパンにしてきた理由が出てくる出てくる。 少し恥ずかしげなオッサンのママごとだ。
そして僕は待ちに待った我が焚き火缶に火を入れる。
小さな薪ストーブに枯れ葉や小枝をくべて火をつける。 ガスバーナーでなく、薪ストーブだったり、マッチやライターではなく、わざわざ火打ち石のような物を使う僕に、部長やアケシンさんからの冷ややかな視線を感じるが、良いのである。 だってこのために山に登ったのだから。
みるみる焚き火缶の底が煙に炙られながら煤汚れが広がる! 嬉しい!カッコいい!!
実はこの登山の数日前に遅い夏休みをとって息子と2人でイタリア旅行から帰ってきたばかり。 その時にローマのCOOPで購入したポルチーニ茸のリゾットがこの日のランチなのだ。 低山部では下っ端な俺だけど、このポルチーニ茸で成り上がってやる! あの2人のシニョーレはこの高級キノコの香りにマンマミーアだ。 ふふふ・・秋の山中で食べるポルチーニ茸のリゾット。 ベストチョイス! 完璧ではないか!
ここに他のキノコやサルシッチャを加えてグツグツ煮て水分が飛んだらバターを1かけ、チーズをすりおろし、オリーブオイルをたらり。出来上がり! 念のためにマスタードを効かせた人参サラダとサルシッチャのサンドイッチも用意してきた。 薄々感じていたが僕って、デキる男だ。
ここで大きな問題が発生した。 なんと平島部長が作る低山スープは僕と同じポルチーニ茸のスープなのだった。。 なぜにこんな田舎で外国のレアな食材がバッティングしてしまうのか? おのれ~平島部長め!我が低山ランチと張り合う気か! と一瞬殺気立つが、訳を聞くと部長も数日前にフランスとチェコを旅してきたばかり。 このスープはチェコのお店で買ったとのこと。 ヨーロッパでポルチーニ茸と言うのは日本で言う松茸のポジションなのである。 悔しいがまたこのスープが香り高くトロリと美味しい!! そして平島部長が語るチェコのキノコ事情の話がまたまた面白い。 悔しいが僕の負けだ。
美味しいスープとリゾットを食べてお次は低山ドリンクである。 アケシンさんの用意したドリンクは下田東急ホテルで販売している高級緑茶と最近できたIZUSORAと言うセレクトショップで購入したコーヒー。 ガスバーナーで湯を沸かし、丁寧にドリップしてくれる。 こだわりの男アケシンが淹れたと言うだけで既に美味しい気がする。 人間って不公平だ。 最高の贅沢である。
普段山登りをする平島部長とアケシンさんだが、こんなにゆったりと食事をすることはないそうだ。 アケシンさんはもっぱら湯を沸かしてカップラーメン派。 平島部長にいたっては何も食べない派だ。 この至福の時間は山登りは嫌いだが、山料理は好きな僕のおかげなのだ。 と、自分の居場所が見つかって嬉しい。 そして我が悪女が煤化粧でベッピンさんになったことが何よりである。
頂上に何やら「三角点」と書かれた物を見つけた。 平島部長はこの変哲のない石ころと棒にオーラを感じるのか、何かありがたいお地蔵様を見るような畏敬の眼差しを向けている。 聞いてみると「三角点」と言うのは地図を作る上で起点となるものであり、とても大切なのだそうだ。ふーーーん。 日本全国にファンがいるそうだ。
もちろん平島部長のスマホにも「全国三角点地図」が入っている。 「痛い」世界である。
結局この日、山ガールに遭遇することはなかった。 聞いたところでは地元の小学生が遠足で登るそうだ。 帰り道は足取り軽いが階段から転げ落ちないように気をつけつつ、未だ見ぬ山ガールのために幾つかの倒木をノコギリで道を綺麗にして下山する。
階段登山は辛いが、最高の景色を満喫できる大平山なのであった。
皆さま初めまして。平島啓(ひらしまけい)と申します。
毎回の山歩きで考えたこと、興味をもったこと、関連することについて書いていきたいと思います。
少しマニアックな内容になると思いますが、よろしければお付き合いください。
それでは、下田低山部第1回登山の大平山。
広々とした山頂広場の中央付近に何やら意味深な標石が埋められています。 皆さん、三角点という言葉を聞いたことがありますか? ’三角’点という名前ですが、四角い石ですね。なぜ三角点と言うのでしょうか。 そして、なぜ見晴らしのよい山には三角点があるのでしょうか。
江戸時代に日本全国を測量し、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)を作り上げた伊能忠敬(いのうただたか)。 2018年は没後200年でした。 明治時代になっても政府や陸軍などで伊能図は使い続けられました。 しかし近代国家として、土地の高低(標高),海岸線や川などの地形、目印となりやすい道路や建物、植生や地名なども入った より正確な地図を作ることが求められるようになります。
地図作りの要は正確な測量です。どのように日本中を測量したのでしょうか。
例えば下田東急前の交差点から警察署までを仮に一直線の道路と考え、距離を1kmと仮定します。 東急前の交差点から下田富士の山頂が,道路に対して60度の角度で見えたとします。 同様に警察署の前から下田富士の山頂が道路に対して30度の角度で見えたとしましょう。 そうすると三角関数を使うと、東急前から下田富士山頂は500m、警察署前からは約866mとなります(仮定の距離ですよ)。 このように1辺の長さとその両端の角度がわかれば、もう1点までの距離が特定できます。 厳密には水平の角度だけでなく、見上げたり見下げたりの仰角も測ります。 これを三角測量と呼び、そのための目印として三角点を設置するのです。
測量の基準となる一直線のことを基線と呼びます。日本で最初の基線は1882年(明治15年)、現在の相模原市から座間市にかけて決められました。 東京でないのは、この2点間は見通しがよくて平坦で、障害物がなかったからです。 距離は5209.9697m.5209mと96cmと9.7mm!何度も測量し、誤差を小さくしたと記録されています。 その両端を記念すべき三角点とし、両端から見える山の上に次の三角点を設置し、両端からの角度を測り、三角形の3辺の長さを求めました。 根気の必要なこの作業を繰り返し、日本中を三角形で埋め尽くしていきます。
ところで三角点には1等から4等まであります。 1等が約1000点、2等が約5000点、3等が約3万2000点、4等が約7万点、いちおう5等が2つだけ。 1等三角点は三角形の1辺がだいたい45kmになるような場所に設置されました。 45kmは結構遠いですね、そのため、見晴らしの良い高い山に設置されています。 伊豆では天城山の万三郎岳や西伊豆スカイラインの達磨山などに設置されています。 ただし、三角点に記載されている標高は必ずしも山の標高ではありません。 あくまでも三角点の位置の標高ですので、三角点より山の標高が高い場合があります。
話が長くなってきました。 別の機会に三角点について続きを書きたいと思います。
今回の大平山の三角点は「箕作村 3等三角点」でした。 第二回登山の藤原山は「相玉村 3等三角点」。 高根山には「高根山 3等三角点」があり、この3点を結ぶ三角測量が昔々おこなわれたことを思い浮かべながらの下田低山部、記念すべき第1回登山でした。
「目の前の山に登りたまえ。山は君の全ての疑問に答えてくれるだろう」
ラインポルト=メスナー
こんにちは。名字が”明山”であるため、実は、山とともに人生を歩み続けてきたアケシンといいます。
ある意味、山に選ばれたが故、低山をときたま気分で登っている程度の中年40某歳である私が、日本や世界に連なる数々の名山・高山に命をかけてトライしている方々たちの言葉を毎回恐れ多くもピックアップしていくというこの企画。
記念すべき第1回目は、イタリア・南チロル出身の登山家、冒険家、作家、映画製作者と肩書きだけでも偉大すぎて土下座せざるを得ないレベルのラインポルト=メスナー様の言葉をセレクト。 「登山」というと、世界の名山や日本百名山で選ばれている山々などをイメージしがちですが、実は日本百低山だったり静岡百山だったり、とその視点をミクロにして突き詰めていくのも実は面白かったりします。 一見何の変哲もない丘のような、たかだか標高数十メートルの山であっても、それはやはりれっきとした”山”で、長い年月を経て、さまざまな歴史を積み重ねているのですから。
そんなことを気にしながら、地図とにらめっこして伊豆下田の地を見つめてみれば、あらあら無数の山があるではないですか! そしたら、まずは何々アルプスや富士山云々…と調子づく前に、体力不足の衰えた体に鞭を打ちながら、まずは下田そしてその周辺に見える、目の前の山に登っていくしかないではありませんか! そこで得た知識や体験は、きっと僕やあなたたちの全ての疑問を解きほぐす鍵となってくるはず。 一体、全ての疑問が解けたとき、そこには何が待っているのだろう…。
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