さて、下田で例年行われるお祭りの中でも、特に二大イベントのひとつといえる黒船祭開催日の真っ最中に第一話が公開された「下田が僕が呼んでいた」。

みなさまの関心は、当然のことながら黒船祭に向けられ、街の方々も年に数度の大イベントに全身全霊を捧げていたのでしょう。一年ちょっと前に東京からこっそり移住してきた、この無名な書き手の無謀な連載に対してはほとんど目も向けられず、リアクションも少なく、とても静かな反響具合でございました。でも、これならば変に気負うことなく、マイペースで落ち着いて執筆できるというものです。ただ、連載を打ち切られないようにはしないとね…。

と、実は、今回第二話の書き出しは事前にさっさと決めていたのです。ほら、段取り力って大事ですから。

ところが。

おかげさまで「下田が僕を呼んでいた(略称:下僕 – げぼく)」、思っていた以上の方に読んでいただけたようなのでありました。記事にコメントくださった方や、Facebook・twitterなどSNSで拡散してくれた人たちまでいて。ホントにありがとうございます(ぺこり)。とにかく、そのリアクションの多さに、非常に感謝(驚)といった数日が続いておりました。

ところが、こうなってくると、とにかく明るくない明山としてはですね、「これはまずいな。これだけの人たちの目に留まるとなると、第二話でつまづくわけには絶対いかないな」、と過度のプレッシャーをひしひしと感じてきたりするわけです。

それを例えるならば、中編小説『火花』でデビューしたら芥川賞を受賞して、自身の周辺が劇的に変わっていく中、本来のワークであるお笑いをしつつ、第二作となった恋愛小説『劇場』を書き上げていくまでのピース又吉直樹の心境に匹敵するかもしれません。

そんな超重いプレッシャーを勝手に感じてしまったが故に、亀と山Pが出演している恋愛ドラマ「ボク、運命の人です」を観ることでリラックス感を取り戻す、という作業が絶対的に必要な5月末から6月の上旬でありました。ライターネームを”明と山P”に変えるのもいいかもな、とイメージすることで、脳内をぐりぐり解きほぐしていく、というか。ジャミーズの明梨と山上による二人ユニットで、最新シングルは「背中越しのピンチ」…、このくらい低レベルなことをスラスラと妄想し始めるとかなり頭の中は程よいモードといえるでしょう(きっと)。

というわけで、現在、シティボーイとシモダボーイのハーフで、まるで人造人間キカイダー状態のアケシンが綴る「下田が僕を呼んでいた」第二話スタート。今回は写真とカメラに関するお話です。サクッと読んでくださいね。

 

下田の街を歩いていると、行き交う人たちの多くがカメラを手にしていることに気づく。

もちろん、下田は伊豆の中でも有数の観光地のひとつ、であるから、それは当然のことといえばそうなのだが、いわゆる旅行で写真を撮っている方々以外の”街の住人”と見受けられる人たちのカメラ所持率も異様に高いのだ。若者たちからそれなりに歳を重ねた人たちまで、幅広い年齢層にわたってこれだけ日常的に写真を撮ることが根づいている街も、なかなか珍しい気がする。

その一因としては、下田生まれの商業写真家・下岡蓮杖の影響が挙げられるであろう。彼は、玉泉寺のアメリカ領事館に勤め、総領事タウンゼント・ハリスや通訳官ヘンリー・ヒュースケンらと通じていく中で、西洋の文化に目覚めていった。その後、職業としての”写真家の先駆者”として活躍した一人である。

蓮杖はもともと絵師だった、と聞く。彼はある時、一枚の銀板写真を見る。

その時に「写実というならば、いくら絵筆をもって苦心してもこれにはかなわない」と衝撃を受け、その時から、写真術の習得に取り組みはじめた。時は幕末から明治にかけての日本。開国を迫られる中で、西洋文化が一気に流入してきた混乱の時期でもある。そのような中で、主要文化のひとつであった写真術は、当時、妖術や魔術と呼ばれ、人びとから距離を置かれていた。そんな中、横浜でアメリカ人写真家のウィルソンからカメラを手に入れたのを機に、蓮杖は文久2年(1862年)に写真館を開き、その技術と可能性を広めていった。いつだって、文化の流れを変えるのは開拓精神を携えた者である。そんな彼の先見の明ある活動が、一時の流行ではなく、文化としての現在の”写真やカメラ”人気につながっているのは間違いではない。

蓮杖が、写真館を開いてから150年以上経った今。

写真を撮るには本来フィルムの交換が必要だったが、デジタル化が進むことにより、データとして保存することができ、コストをかけずにカメラを楽しむことができるようになってきた。アナログカメラで撮られた写真と、デジタルカメラで撮られたそれは、「完璧に同じ」ではないもののその仕上がりの差は限りなく縮まってきている。そして、ミラーレス一眼カメラの登場。これがきっかけで、本格的なカメラの小型・軽量化は一気に進み、女性でも子供でも苦することなく、気軽に持ち歩き、シャッターチャンスを狙えるようになった。

さらにいうならば、日常的に撮って楽しむレベルであれば、スマートフォンに内蔵されたカメラでもさほど支障はない、といってもいい。

実は、自分も下田に移り住んでからは、デジタル一眼レフはあまり持ち歩かず、iPhoneのカメラで写真を撮ることが次第に多くなっていった。

その理由は、まだ小さい娘と一緒にいる機会が増えたので、持ち歩く荷物は少しでも軽い方が良いというのがひとつ。もうひとつは、デジタル一眼レフを取り出す→レンズキャップを外す→構えてピントを合わす→シャッターを切る、という一連の動作を行う前に被写体が動いてしまい、シャッターチャンスを逃してしまうことが多い、ということだ。

実際に一眼レフのカメラの性能や魅力を体感したことのある人からすると、シャッター速度やレンズの差による写真の表現力の違いは如何ともしがたいのは間違いないところではある。だけれども、近年は画像の加工アプリが多数アップされ、撮った写真に少し愛情と手を加えるだけで、「映える写真」「楽しめるフォト」へと仕上げやすくなっているのも事実だ。

そんなフォト画像加工アプリ兼SNSとしてもっともメジャーなアプリがインスタグラム。

2010年10月にAppleのApp Storeに登場。それから約6年で全世界でユーザーが5億人を超えたキラーアプリだから、写真好きの人なら知っている方がほとんどでしょう。

このインスタグラムと下田の街並みの相性、スッゴクいいんです。事例として、下田に移住してから1年、自分がiPhoneで撮った拙いフォトを数枚挙げてみます。

東京から移住2日目。ペリーロードでの一枚

 

ペリーロードから了仙寺へ向かう小径

 

ペリーロード奥にある旧澤村邸

 

まどが浜海遊公園から海を進む黒船を望む

 

青い空と海。そして爪木崎の灯台を目指す

 

桃色の桜が、下田の春を知らせてくれる

 

どうですか? 超・ド素人が撮ったフォトにしては、雰囲気出ているでしょう?(ゴリ押し)

撮り終えた写真を、アプリ内でいくつか用意されている好みにあった質感のフィルターの中からセレクト。場合によってはトリミングもします。あとは編集で、”明るさ”と”コントラスト”を微調整するのが肝ですね。

たったこれだけで、ちょっと物足りなかったあの一枚この一枚の見栄えが、まるでそれは魔法がかかったかのように、ガラリと変わるときがあります。

あと、個人的には、最近は、景色や人が写っている写真の時は「VSCO」、カフェやレストランなどで食べ物のフォトを撮る時は「Foodie」という画像加工アプリを使って、画像調整をかけてからインスタグラムにフォトを公開していることも多いです。どちらも、アプリ自体は無料で利用できるし、使い分けると便利なアプリなのです。

こうして、毎日撮り重ねたフォトの画像調整をしているときに、ふと思うことがあります。こういった”ちょっとした一手間”をかけること、対象物に対して少し違う見方をすることで写真の良さが増したりするのって、実は、下田という街の魅力にも置き換えることが可能なのではないかな、って。

東京から下田に移住を始めた最初のころ、街の人たちと挨拶すると「こんななにも無い街によく来たねえ」とか「東京にいた方が楽しかったでしょ」なんて声をよくかけられました。いわゆるショッピング・刺激的な娯楽施設面でいえば、その選択肢が少ないのは確かなのですが、でも東京ではゼッタイに得られない、下田ならの良さも逆にたくさんあるんですよね。

移住して一年とちょっと。僕にとってこの”下田”という場所は、まだ行ったコトのない・体験したコトのない・味わったコトのないサムシングだらけ、の陸の宝島といい切れます。これだけ気持ちをワクワクさせてくれるそんな街、下田。

僕はいま、ここにいる。

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明山真吾(あけやま・しんご=アケシン)

1972年、東京都中野区生まれ。
サラリーマンとして慎ましく人生を歩みつつ、90年代から2016年まで都内にてUK・USロック&ギターポップ / 渋谷系DJとして活動。音楽に関わるディスクレビューやライブレポなどのライター活動も並行して行なう。 2016年2月に下田に移住。仕事と子育て、下田の街中散歩を満喫する日々。
趣味:音楽 / カメラ / 低山登り / 団地チェック / 読書

サイト“A CHANCE MEETING” : https://akeshinmooka.themedia.jp