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岡崎第4回タイトル改々

下田に暮らすようになるまでは、黒船祭のことなど知らなかった。

なんじゃ? それってなもんである。

引っ越してきた年の五月中旬、新聞の折り込みにこの祭の日程表がはさまっていた。

花火大会がある。パレードがある。しかも米海軍や海上自衛隊などの吹奏楽隊も出る。

民間主体の仮装パレードもある。時代劇が催される。

着物に早変わりの変身コーナーや、海上保安庁の巡視船の入場見学もある。

もちろん屋台や露店は出るし、夜にはコンサートも開かれる。

ゴルフ大会、綱引き合戦など日米決戦もある。

いわゆる伝統的な祭りじゃなかった。

調べてみると、昭和初期に日本が国際観光を盛んにしようと、各地で祭などが開かれるようになり、どうもそんな時代の中で生まれた祭であったのだ。

下田には黒船が来た歴史があるし、初めてアメリカ領事館が開かれ、初代領事として下田にハリスが住んでいた。

でもそれだけじゃ弱いので、あの明治の大経済人、渋沢栄一が市内の玉泉寺に眠るアメリカ海軍兵士の墓前祭にしたらよかんべと提案し、それが黒船祭に発展したのであった。

祭の当日、市内中心部に行って驚いたのは、延々と続くパレードと、人々のなんともゆったりとした、ニコニコした雰囲気である。

しかもアメリカ大使がオープンカーに乗り、観衆の一メートル先で手を振り過ぎるのだ。

もしこれがアラブだったなら……。

よからぬことが頭を過り、しかしこの街だからこそ許される、ゆるーい感じなのである。

それが五月のさわやかな青空とマッチする。

その空には、航空自衛隊のジェット戦闘機が轟音を響かせ飛んでいく。

海上には米第七艦隊の艦船が停泊し、隊員たちは、はしけで陸上と行き来する。

門限もあるらしい。飲んで酩酊した挙句に事件でも起こすとよくないからね。

行政を中心に、この祭を朗らかに間違いなくやっていこうとの意思が働き、市役所の職員はもちろん総出で、二十四時間体制でその任に当たるそう。

下田に来て十二年が経ち、僕と妻にも祭で役割が与えられるようになった。

一つはアメリカから来る訪問団の接遇である。

もう一つは、下田と姉妹都市にあたるニューポート市との親睦を図るため、市内にニューポートハウスが臨時に店開きをするのだが、その店番である。

おかげで準備から始まって、ウエルカムパーティー、ニューポートハウスでの店番、アメリカ訪問団の接遇、お別れパーティー、片付けなど、計五日間は奉仕に当たる。

でもこれが存外楽しい。

なんたって、みんな年に一度きりだけ会うような仲間なのだ。

接遇するメンバーは十名ほどだが、2008年に下田の訪問団メンバーとして、ニューポートのブラックシップ・フェスティバルを訪れたせいもあって、アメリカ訪問団の中にも見知った顔が多くいる。

店を開けていると、毎年来る人がいる。

仮装パレードに毎年、江戸時代の魚屋の恰好で参加する人ともすっかり打ち解けるようになった。

年に一度の逢瀬はまるで七夕だ。

でも何年もやっているうち、不思議と親しくなるんだね。

「よう!」と声を掛け、「どうしてる?」、「元気さ!」、それだけでいい。

その顔の数は、今では百人くらいいるだろうか。

さあ、今年も黒船祭がやってくる。

妻は五月に入ると、毎年ソワソワしはじめる。

photo: Jun Sato

photo: Jun Sato

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岡崎大五 プロフィール

岡崎大五(おかざき・だいご)

1962年、愛知県生まれ。
約80カ国を巡る旅の後、30歳で帰国し、海外専門のフリー添乗員として活躍。その後、自身の経験を活かして『アフリカ・アンダーグラウンド』『北新宿多国籍同盟』『汚名 裏原宿署特命捜査室』など、日本と海外事情を絶妙に対比、融合させたエンターテイメント作品を発表している。
○年より下田に移住。 執筆活動を続けながら、下田暮らしを満喫中。