第19話紫煙の彼方へ
今では肩身の狭い思いで紫煙をくゆらせるタバコ。
パイプの歴史には血の匂いと平和と安息を願う香りが漂っている。
パイプスモーキングは人生の友である。
少しパイプスモーキングの歴史のおさらいを・・・・。
「パイプ・スモーキングが伝える文化史」
アルベルト・アインシュタイン、ダグラス・マッカーサー、ヨシフ・スターリン、開高健、渋澤龍彦、竹村健一、ポパイ、スナフキン、シャーロック・ホームズ・・・。
彼らに共通しているのは?
答えは、パイプを愛用していた人々です。
禁煙が声高に叫ばれている昨今ではタバコが体に悪いとされ、愛煙家は肩身の狭い境遇ですが、頑なにパイプを吸い続けている人たちがいるのも確かなことです。
ある人から見ると、喫煙の歴史は人類の中毒症の歴史かもしれませんが、タバコ、特にパイプは明らかに文化を創ってきた脇役、相棒であるといえると思います。
「パイプにはそれを吸う人の思考を方法ならしめる何かがあります」(全米パイプ協会でのアインシュタインのスピーチより)
プカプカやりながら遠いところに視線をやっているのは何かを生み出すための瞑想かもしれません。
パイプを吸っているのはスノッブの見栄だという人もいますが、パイプは奥の深い世界で、時に人を緊張感から解放してくれます。
「日本のパイプ・世界のパイプ史」
タバコが日本にもたらされたのは、16世紀末以降のことです。
南蛮貿易でポルトガルやスペインからタバコも日本に入り、慶長年間(1596年~1615年)には喫煙習慣が流布していた絵画が残るぐらい人々に親しまれてゆきます。
タバコが風紀を乱すシンボルとなり幕府から何度もタバコの栽培・喫煙の禁令が出ますが、元禄期以降にはもう禁令が出なくなります。
日本のパイプといえば「煙管(キセル)」でアジア各国に輸出され、特に銀製の煙管は高価でした。
西洋のパイプといえば江戸時代は「クレーパイプ(陶器製のパイプ)」でした。
鎖国状態にあった日本で唯一貿易が出島で許されていたオランダ人は、自分たちのものとしてこのパイプを持ち込んでいました。
それも大量に・・・。
産業革命の勃興するイギリスでは社交界から一般市民までこのクレーパイプの類をそこかしこで嗜み、一時はイギリス議会での喫煙が禁止される事態までになっていました。
19世紀以降、今よく見るブライアーパイプ(ヒースの根塊)の木製のパイプが普及し、さまざまなタイプのパイプが生み出されました。
メシャム(海泡石という鉱石)、桜やオリーブをはじめとする木製パイプ、とうもろこしの軸を使ったコーンパイプ、現在ではガラスや金属、はたまた「ブライロン」という耐火性合成樹脂でできたパイプが登場します。
人の顔や動物などの装飾を凝らした芸術作品的なパイプも作られました。
中には繊細なつくりで、大ぶりで喫煙には向かないようなものまであります。
パイプは洋の東西を問わず愛され、人々の何らかのイメージを刺激し、何かしらの経済活動を支えたものでありました。
一言付け足しておけば、男性だけのものと思われるパイプも、特にヨーロッパでは女性が偏見なくパイプスモーキングを嗜んでいる姿を多く見かけ、こんなところに東西の違いを感じます。
「平和と安寧を願うパイプ・スモーキング」
静寂の満点の星々を頭に頂き焚き火を囲みながら、時には平原のテント(ティーピー)のなかで、色鮮やかな羽飾りで頭を飾り、腕輪、アンクレット、首飾りを身につけ男たちは「和平のパイプ儀式(Calumet、カルメット)」を行う。
ネイティブ・アメリカンズにとっては、パイプは宗教的な儀式で使われるほど重要な意味を持つものでした。
中でも、カルメットは平和を象徴する重要な儀式で、敵対するもの同士がパイプを回し飲みすることで和解が成り立ったといいます(TVなどで「インディアン嘘つかない・・・」という一時期はやった言葉はこんなところから来ているのかもしれません)。
シャイン族の言い伝えでは、リトルビックホーンの戦いでカスター中佐(1839年~1876年)が戦死したのは7年前のこのカルメットを拒んだためだと信じられていました。
コロンブス(1451年頃~1506年)やコルテス(1485年~1547年)の接した人々がやっていた喫煙習慣がヨーロッパの人々に知られることとなり、後にタバコが世界に広まるきっかけとなりましたが、それは征服と略奪を後に伴う結果をもたらしました。
タバコやパイプを吸い続けた歴史には血が流れているとまで言えるかもしれません。
現代に目を移すと、ダグラス・マカッサー(1880年~1964年)が厚木の飛行場に降り立つ映像はあまりにも有名です。
でも、彼がコーンパイプをくわえていたのは偶然の産物でしょうか。
戦後日本の混乱の収拾と日本の統治がひとりの男の双肩にかかっていたのですが、このパイプを回し飲むような日本側の人物はいませんでした。
コーンパイプは「和平のパイプ儀式」ではなく戦後日本とアメリカの関係、「力」関係を象徴するものとなってしまいました。
話は飛びますが、このコーンパイプは、下田の玉泉寺の「ハリス記念館」で実物を見ることができます。寄贈品だそうで、パイプの受け皿に焦げ目がついていないところを見ると、マッカーサーが携帯していた何本かのひとつであるのでしょう(コーンパイプは案外傷みの激しいものなので何本もかわりが必要なものです)。
開国のひとつの舞台で戦後と出会うわけですが、開国の立役者のひとり、タウンゼント・ハリス(1804年~1878年)もパイプ愛好者の一人でした。
同じく玉泉寺の記念館にはハリスが愛用していたクレーパイプが収蔵されています。
黒塗りでパイプの吸い口あたりには赤色の色彩が残っています。
今では少し派手なパイプだったかもしれません。
幕府との交渉が難航する中、ひとり自室で、または執務室でパイプを燻らせていたのは、「和平のパイプ」だったのですが、ここでも回し飲みはなかったことでしょう。
もう、パイプはネイティブ・アメリカンズの教えから離れて、個人の愉しみへと変わっていたのです。
どのような形であれ、パイプを吸うというのは、その始まりは平和的なイメージです。
個人的であっても「心の平安(アパテイア)」を求める心情は平和的な時間を持つゆとりです。
紫煙の彼方には、このような血と平安を祈る心情が入り混じった歴史があるのです。
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