第20話イワシの歌

イワシは海のお米。人間に一番近くにある魚だが、話題に乏しい魚でもある。
これも秋刀魚のように詩人が歌に詠んでくれなかったからなのか?
 

イワシの歌

 

イワシは伝説や神話には登場しない。
ご存知「イワシの頭も信心から」という言葉が残るぐらいである(イワシにも金子みすずの詩に登場する例がありますが・・・)。。「鱈」、「鮭」、「鯛」、「鰻」、「鮪」、「鰹」、「鯨」などなど、文学作品、芸術作品になるものは沢山あり、イワシはあまりにも身近さが故にほとんど登場しません。
世界中の海にいて、これだけ沢山食べられ、資源利用され、知られている魚はほかに例はないでしょう。

 

イタリアのマンマの味

 
 「今日は復活祭の最終日。家に食べに来なさい」
 イタリアにいたときには何かとお祝い時に下宿先の大家さんから食事に誘われました。
 
 「これはこの家の定番よ」
 
 前菜に出るのが「ブルスケッタ」。
焼いたパンに1片の生のニンニクを横半分に切り、これをこすりつけます。
その上に、塩漬けアンチョビーのマリネーされたのがのって出てきます。
アッサリしていてつい食べ過ぎて、2皿目のパスタ料理からお腹に堪えてきます。
イワシの加工品は、ヨーロッパの料理ではとてもポピュラーな食材です。
家庭料理でもです。

 イタリアの内陸部で海のない地域では、1週間のうちに魚を食べる日というのがあります。
この日には、地域によって小型トラックのスーパーや普通のスーパー、町の魚屋さんに沢山魚が並びます。
山の中に住んでいると容易には海の幸は手に入りません。
イワシの加工品が一番の代用品なのです。
 
 

ポンペイのイワシ料理

 
 イタリアのカンパーニア州のポンペイ遺跡の近所に研究所があり、そこに出入りしていたころ、よく海産物の料理が出ました。
 
 「生きのいいのがとれたわ」
 
 研究所の料理を作ってくれていた近所のオバサンが見せてくれたイワシは、北陸の方言の通り、「きときと」でした。
 
前菜には、玉葱をはじめとする野菜と香料で味付けされたイワシのマリネ。
新鮮なので臭みが強くなく、アッサリしていて、何匹でも食べられます。
薄切りのレモンがまた格別美味しかったことも忘れられません。
2皿目はイワシのスパゲッティ。こちらは「プッタネスカ」。
娼婦たちが仕事に忙しいときに簡単に作っていた料理からきています。
ケイパーが入るので、酸味のあるパスタでした。
娼婦が料理名になっているのは、とてもイタリアらしさがでていると思います。
 
さんま寿司

 

秋刀魚好きの日本人。でもイワシも忘れられない日本人。

 
 

日本人の好物、秋刀魚

 
 ところで、ひかりもので日本人に馴染みのあるのは、本家本元の佐藤春夫(1892年~1964年)の「秋刀魚の歌」にも歌われている秋刀魚。こちらは、地球上でこれほど愛して食している民族は日本人以外にはいません。
 中でも「秋刀魚寿司」。
 和歌山県の沿岸地域では、なれ寿司として非常に有名で、季節になると南下してきて、脂の落ちた秋刀魚がよいとされ、早く食べるものと発酵してから少し時間を置いてから食べる2通りの食べ方をします。
 
 ここ下田では、「白浜の秋刀魚寿司」が特に有名です。こちらはまだ脂が落ちきらないのを早めに寿司にして食べます。
柿の葉にまいたもの、「焼き秋刀魚寿司」などのバリエーションもあります。
秋刀魚が伊豆半島あたりに南下してくる時期が、仁科あたりの祭事の時期に当たり、自然と神事が交わる時期となります。
祭りは海の恵の豊饒さが生活の豊かさと結びつく形で信仰の中で生き残ってきたのでしょう。
このお寿司、早咲きの河津桜が咲く春でも食べることができます。
南伊豆と河津の桜祭りで、名残惜しい秋刀魚の味を味わってみてはいかがでしょうか?

 

海のお米、イワシの魅力

 
 今や日本では季節に関係なくイワシも秋刀魚も口に上ることが多くなりました。
 
 秋刀魚なら秋。イワシにも旬がありますが、季節に直接結びつきません。
イワシを焼くと苦いので秋刀魚と似ていますが、秋の雰囲気がありません。
 季節感のないイワシが身近に感じるのは、いやむしろ人目を引かないのは、日本人にとってお米の感覚のように、海から常に豊富に送られてくる贈り物であることの証拠で、豊かさのイメージこそイワシの最大の魅力なのです。
 
 

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。