第10話 後編冷たい話

 下田の町を支えた氷

 

 街中を歩いていて、いつもふと目に留まるのが、「南豆製氷所」(1923年)でした。
下宿先のアパートからも見えることもあって、気になっていた建物です。
この建物は、灰色がかった、表面が平らに整形されずゴツゴツしたもので、時間とともに黒みを帯び苔が生し、何か西洋の古びて朽ちた遺跡の石のような姿になっていました。
古色蒼然の姿も、活動期の製氷所の姿は、近現代の構造物としては伊豆石を利用した個性的なものでした。
機械室、製氷室、貯氷室を備えた「南豆製氷所」は、今ある港の市場の近くを流れる稲生沢川に直結し、氷を運搬するのに立地条件がいい下田の街中のはずれにありました。
ここを拠点とし、港、町の内外へと氷が搬出されていたものと思われます。
 

川側から見た製氷所・・南豆製氷応援団より

川側から見た製氷所・・南豆製氷応援団より

 
地元の人の昔話によると、「南豆製氷所」では大きな氷の塊を鋸で切り、それを砕いて「ザァー」と魚入れに入れるときに、鯵などの小魚が若干零れ落ち、これを掠めてくる。
そしてその小魚で釣りをよくしたそうです。
炎天下の作業の過酷な様子もそうですが、製氷所には、魚釣りのえさを仕入れる少年の思い出として、ごくありふれた日常もあったのです。
 

第一製氷室・・南豆製氷応援団より

第一製氷室・・南豆製氷応援団より

 

 金目鯛がこれほど有名になる前には、下田はカツオ漁の重要な風待ち港でした。
多くの魚介類が水揚げされ、カツオが集まっていた港町でありました。
当然、鮮度維持には氷が使用され、「南豆製氷所」はフル稼働していたはずです。
余談になりますが、土佐からこのカツオ漁をしていた漁船が下田にやってきていたとかで、土佐とも海を通じて縁を築いていました。
 

「南豆製氷所」は下田の産業を支え、経済活動の基礎の一つであったのです。

 

歴史遺産の価値

 

このような古い構造物を見ると、どうしてもイタリアのことを思い出してしまいます。
ポンペイの遺跡発掘を少しお手伝いしたときには、出てくるはずの構造物の基礎が出てこず、これは発掘の失敗ではないのか、と思ったものでした。
しかし、それは大きな誤りでした。
遺物・遺構が出てこなくても、出てこないということが史料的に裏付けられることも立派な発掘の成果となったのでした。
一見して価値のないような事柄も重要なものなのだ、とこの時学んだような気がします。
例えそれが下田の朽ち果てて忘れ去られた建物でもです・・・。
 
 人の価値観というのはとどまることを知らず、よく猫の目のように突然変化するものです。
大帝国を打建てた文明の遺跡や遺物が重要で、東洋のはずれにある島国のそれも小さな一地域の遺物や遺跡は取るに足りない、というのはどこかピントの合っていない意見のように思います。
「人間のあるところに歴史があり、歴史があるところに人間がいる」のです。
ひとつとして見劣りのする事柄はないのです。
ローマの大遺跡群も「南豆製氷所」も人間が生み出したという点で評価されるものです。
歴史遺産は古代か近代かという枠組みだけで存在したものではありません。
そこには様々なのものの変化というものがあります。
「南豆製氷所」が取り壊されたというのも、このような重要性を十分鑑みられず、財政的な理由だけでこの世から消えていったのかもしれません。
時の流れがこの町にも流れ込んでいるのでしょう・・・。

 
 それでも、「南豆製氷所」の名前と場所は町の記憶として残り続けるでしょう。
この町を支えてきたのですから・・・。その歴史的な価値は後世に残されても色あせるものではなかったと確信します。

 
 この建物は解体され、「Nanz village」として、2015年に、生まれ変わります。新しい名所となることを期待します。
 
南豆製氷所跡・・・Nanz Village

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。