第21話銃声のこだま

「下田の密会」

 
 目つきの座った男が酒の注がれた朱塗りの盃をあおる。盃を置き男は、差し向かいの男の盃に酒を注ぎいれる。
色黒の顔が一瞬盃を止めるが、すぐさま盃の酒を飲み干す。
寡黙であったか、饒舌であったか・・・。
色黒の男は下戸であったはずだが・・・。

 1863年(文久3年)1月16日。
土佐藩主山内容堂は嵐を避け下田で投宿する。
引舟黒龍丸のシリンダー故障のため勝海舟もまたこの地で泊まるしかなくなる。
両者は宝福寺で引見することとなった。
勝海舟の日記「亡友記」には乗組員として坂本龍馬の名が記されているが、この時下田に上陸したという確証はない。
宴席では坂本龍馬の脱藩の赦免が話し合われたといわれ、後日に松平春嶽からの赦免の受け入れの話もあって、山内容堂は2月25日に坂本竜馬の帰藩を許し赦免する。

 

「坂本龍馬と銃」

 
 坂本竜馬ははれて勝海舟の下に就くことになるのですが、彼の人脈網はその後格段と増えてゆきます。
長州藩の高杉晋作との知遇もそのひとつです。
坂本竜馬はこの時に1丁の拳銃を譲り受けています。
寺田屋事件でも使われたその銃は、スミス&ウエッソンモデル2アーミー330口径6連発。
このときこの銃を紛失し、かわりにスミス&ウエッソンモデル1/2 320口径5連発をお龍とともに携帯することになります。

 まだ刀が携帯され主要な武器であったころに護身用として拳銃を身につけており、しかも反幕の志士ともなると、これがどういうルートで流通していたか興味あるところですが、武力の面で討幕派が近代的な武器を積極的に吸収していたことは確かのようです。

坂本龍馬がグラバー商会から長州藩のために武器を調達したことは有名で、この時にフランス生まれのオランダ製ミニエー銃4300挺、ゲーベル(マスケット)銃3000挺を入手します。
ゲーベル銃は世界的に見ても古い型の銃で、それにかわるミニエー銃を手に入れていて、討幕派の武器に関する情報入手の早さも注目されるところです。
幕府側も銃では、高価なスペンサー騎兵銃を輸入して、戊辰戦争のときに活躍するのですがその数は少なかったといわれています。
幕末は、刀ではなく銃がその主役として登場する場となっていました。
 下田沖に黒舟が停泊し、街中を兵士が行軍する中に銃があったことに当時の人はどんな思いを抱いていたでしょうか?
この姿がもうまもなく、日本の軍隊の姿となるとは誰が予想したでしょう・・・。
 

「サラ・ウィンチェスターの家」

 

出典 http://blog.livedoor.jp/junkoakaishi/archives/41618045.html

出典 http://blog.livedoor.jp/junkoakaishi/archives/41618045.html

 
 アメリカ南北戦争では多くの銃器が使用され、戦後には大量の武器が余剰となって本国に残っていました。
これを売りさばく市場として日本はタイミング的にその需要を満たすのに適していました。
開国後、こうして流入した日本の幕末を華々しく飾った銃器も、生産国アメリカ合衆国では一風変わったエピソードを生み出したカリフォルニア州サンノゼ。

サマーキャンプで2日ほど宿泊したヨセミテ国立公園からの帰り道に、「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス」に立ち寄る。
広大な敷地の前庭を通ってゆくと、よく剪定の行き届いた植え込みの緑が夏の日差しの中でクッキリ際立って見えてくる。
ビクトリア朝末期のアン女王様式の赤紫の屋根をいただく4階建ての豪壮な館が見るものを圧倒させる。
ホラー・コメディ「アダムス・ファミリー」の中で出てくる館のようである。
敷地には色とりどりの花が咲き誇る温室があり、室内が異様に蒸し暑かったのを思い出す。
 
 サラ・ウィンチェスターのこの邸宅は、40の寝室、2つの舞踏室など160の個室をもち、47の暖炉、1万枚の窓ガラス、17の煙突、2つの地下室、3つのエレベーターなどを備えており、室内トイレ、押しボタン式ガス灯、温水シャワーまで完備されています。
建物に使用された塗料は7万6千リットルに及んだ。
当時としては最新の近代的な設備を備えた館です。
 このような豪邸を何故彼女が作ったのか?
ウィンチェスター銃の製造販売で巨額の利益を得た夫ウィリアム・ワート・ウィンチェスター、それに娘をたて続けになくし、悲嘆にくれて毎日を送っていたのですが、いつしか霊能者に身の上相談をするようになります。
霊能者が告げます。

作り上げた銃のために亡くなった人々の霊に呪われている。
西に行きそこで住み、家を建てよ。そして家を作り続けよ。そうしないと長生きできない。やめると死を招くであろう。

このアドヴァイスを信じ、24時間365日、彼女が亡くなる1922年9月5日までひと時も休まず家を増改築させました。
そのため、霊障を避けるための部屋や通路などを設けて、奇想天外な作りになってゆきました。
160の個室など泊まる人で埋まることもなく、ただ部屋の数だけを増やしてゆきました。
数といえば、悪意のある霊を避けるために「13」の数に合わせて設計されたり、蜘蛛の巣のモティーフを好んだりしました。
 
 妄信から狂気へ。

銃というものがもつ忌まわしさを知り抜き、その罪深さを背負うということの荷の重さとはいかなるものなのか?
人の死とお金が表裏一体の商売とは?
サラ・ウィンチェスターの生涯を見ていくと、何がしかそこに人間の暗部のようなものが見えそうです。

 手に銃を持ち進撃する幕末の人々の死は、遠く離れたアメリカの一富豪を狂気へと向かわせたのかもしれません。
彼女自身の死でその忌まわしさが終わることはないのですが・・・。

コメントする

岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。