第3話アメリカポピュラー音楽というプレゼント ~前編~

黒船が運んできた音楽はアメリカの多様な人種・民族・文化を受け入れる受胎能力の高さを示している。「♪大きいことはいいことだ~」というかつてのCMを地でいっているアメリカの音楽に射す光と影を追う。

「2014年6月16日の記念すべきコンサートから」 (日米交流160周年記念ペリー黒船音楽紀行「アメリカポピュラー音楽伝来フェスティバル」。尚、この日付は160年前のペリー側主催の演奏会の日付と同じ、演奏時間は当時の開演時刻とほぼ同じであり、ペリー一行が寄港した横浜、函館、下田、那覇で演奏会が巡回するものである。ナビゲーターは作家の東理夫氏。)

夕方5時とはいえ、まだ陽が完全に降りず、夜の帳はまだである。下田市の市民文化会館の小ホールには、コンサートスタッフと報道関係者がいるだけだ。平日ということもあり、徐々に入場する観客は想像していたよりも少ない。

 ホールの空間には、お座敷の余興よろしく「♪ピ~ヒョロ~」「♪ドンドン」と祭りのお囃子が流れていて、演出者がコンサートでやるアメリカ音楽との対比を試みているらしいのがわかる。
舞台は薄暗い。演奏者の足元にある斜めに立てかけられたレフ版のような反射板が蝋燭の光を増幅した暖か味のある明るさを照らし出している。
山高帽に黄土色の地色にカラフルな模様が施された上着に、黒と白のストライプのズボンを履いた演奏者が席につく。右から、タンバリン、トライアングル、ギター、フィドル(ヴァイオリン)、フィドル、フルート、ギター、ボーン(牛の骨と木からなるカスタネットのような打楽器)の順番に横一列に演奏者が座る(演奏者:「ジャパニーズ・オリオ・ミンストレルズ」)。

冒頭の演奏はペリー一行が初めて日本で演奏したといわれている「♪ヤンキー・ドゥードゥル」。

我々が知っている「♪アルプス一万尺、こやりのう~えで・・・」というやつだ。少しテンポが遅いように感じられるのは、軍楽隊の演奏として披露されたいきさつがある。
まさに、ペリー上陸の象徴的なポピュラー音楽である。

 続いて演奏されたアメリカのポピュラー音楽は1854年に日本で初演された歌、「♪ピカユン・バトラー」である。これはテンポが速く、陽気で、軽快、演奏者も体を前後左右に動かして表情豊かに歌い、演奏する。
個人的にはこの曲が一番記憶に残った旋律である。
のっけからフィドルの音を聴いていると、自分の中でアイルランド人の歌手エンヤの曲が蘇ってくるが、これは偶然のことではないであろう。

 どこか馴染みのあるこうした黒船の運んできた音楽は、ミンストレル・ショー(minstrel show)と呼ばれる大衆演劇で披露されたものである。
ミンストレルとは、中世ヨーロッパの宮廷の吟遊詩人や道化師たちのことを指し、一命をかけて歌などを通じて戦況を王に報告する語り部であった。

19世紀のミンストレルは、黒人を差別する歌や踊りを表現する芸人たちであったのである。  日本で本格的にミンストレル・ショーを発掘したのはバンジョー奏者の原さとしさんである。
彼は10年の歳月をかけてミンストレル・ショーを研究しこのコンサートを成功に導いた。バンジョーを演奏したときにはカウボーイハットにジーパンのいでたちで、アメリカンな風貌がよく似合っているグッド・ガイである。
彼の説によると、「♪下田オリオ・メロディー」は、ペリーが来航して音楽に出会った日本人の中に下田でもう一度このミンストレル・ショーを聴きに来たものがいて、そのことを考慮してアメリカ側は同じ演奏をした歌の中に楽器紹介の歌詞を挿入した歌だそうである。これは下田で初めて披露された歌であった。

 アメリカポピュラー音楽の父スティーブン・コリンズ・フォスター(1826~1864)の曲も勿論演奏された。「♪草競馬」では、ボーンとバウロン(撥を使って叩くタンバリンに似た小型の太鼓)が丁々発止の掛け合いの漫才のごとく、舞台上を飛び回って演奏していた。 ミンストレル・ショーの音楽演奏の最後は、観客とともに、「♪ピカユン・バトラー」の掛け声を合唱した。それにしても、掛け声が英語で「アホー、アホー」というのには笑ってしまった。ワァッハッハッハッハッ。

 フィドル、ギター、バウロンの演奏者がアイルランドの曲を演奏する(演奏者:「ジョン・ジョン・フェスティバル」)。フィドルとバウロンの存在は大きく、この2つがアイリッシュ・ミュージックの要となっている。演奏グループは無期限の活動休止を宣言しているので、これが最後の演奏である。
その音楽への思いはここで爆発した。

バウロン奏者のトシバウロンさんはトランス状態に入り、掛けていたメガネを振り落としての大熱演。太鼓の音が体の芯に響き渡り高揚感を催した。原さんもトシさんも人を笑いの渦に引き込む名人であり、並々ならぬ音楽への熱情は演奏の挙措動作に現れている。

 アイリッシュ・ミュージックを起源に持つブルーグラスの曲も披露され(演奏者:「ザ・ブルー・サイド・オブ・ロンサム」)、2本のバンジョーが自分の楽器の弦を弾きつつ相手の指板を押さえるというアクロバチックな曲芸を見せ、見るものは口を開けてひやひやして聴き入っていた。一連の演目を聴いていると、アメリカのポピュラー音楽の変遷やアイルランドの風を感じることができた。
エンディングは、フォスターの「♪ケンタッキーの我が家」を演奏者が総出で演奏した。

 クラッシックのコンサートのアンコールに当たるものだろうか、ラストには原さとしさんの古式のバンジョー(19世紀に使われたものと同じもので、指板はフレットレスであり、5弦である)によるソロ演奏で「♪おお、スザンナ」が流れた。鄙びた響きで、「パン、ポロン」と一音、一音に思いを込めて弾きはじめ、あれと思うような音程が不安定になる瞬間もありながらも演奏は止まることなく流れ、またその調子はずれになりかけた素朴な響きが、静寂、土臭、悲哀、郷愁を見事に生んでいた。

子供の頃聴いた「ワシントン広場の夜は更けて」をこのようにやればぴったりなのである。原さんへの次回のときのリクエストにしたいくらいだ。

コメント一覧

  1. 大変面白く読ませて頂きました。自分は、伊豆半島の付け根の三島と言う所で育ったのですが、あまり下田へは行った事がありませんでした。しかし良く考えると、バンジョーを初めて日本人が目にした場所なワケですものね。もっと気にする様にしたいと思います。また、この辺りの話はまだまだ勉強中なので、また何回も読ませて頂く事になると思います。素敵な記事をありがとうございました。

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。