第25話~夏の思い出~「河津の栖足寺」

「京都の子供の夏」

 
夏の京都は、呼吸する空気自体が熱を持っている。
 
あれは、幼稚園に通っていたころのことだ。
夏休みも終わろうとしていて、地蔵盆でお坊さんが、路地の突き当りにテントが張られ、ゴザが敷かれた子供のための遊び空間にやってきた。
町内の大人たちが用意してくれたお菓子やジュースを口に運びながら子供たちはじゃれあっていた。
そこにお坊さんがやってくると、皆、何故だか正座してお坊さんの話を聞いていた。
これは催促されてそうしたのではなく、自発的にそうなったのである。
 
「生きている間に、悪いことをすると、死んでからは地獄に行くのですよ」
 
そういう言葉を毎年聞かされていたものだから、私は地獄とはどんなところなのか、怖いながらも興味を抱いた。
 
そしてこのお説教が終わり、昼ご飯を食べ終わってしばらくすると、炎天下の中、お坊さんのお寺に連れていかれた。
暑いながらも、お堂の中は風が抜けて少し暑さをしのげた。
 
「地獄というのはこんなところです」、と我々はお堂に飾られた屏風の前に座らされた。
 
地獄の鬼が鋸を持って追いかけ死者たちは何か叫びながら逃げまどっている。
真っ赤に燃える液体を大きく開いた口に注ぎ込む鬼たち。
そんな場面を、じっと、閻魔様が口を大きく開けて真っ赤な顔で見つめている。
 
どんな怖いものでもこの時受けた恐怖は忘れられないものだった。
小学生低学年の時に、交通事故にあったが、その時には苦痛もなく跳ね飛ばされて、夢か現実か分からないような出来事だった。
恐怖というものがなかった。
でも、子供の頃に出会った「地獄絵」は、恐怖だった。
 

「栖足寺」

 

堂宇

堂宇

 
「河童寺」で知られる「栖足寺」は、堂宇に続く参道に白とピンクの芙蓉の花が咲き、河童の銅像がある。
広い堂宇の天井には格子に区切られた板羽目の色鮮やかな花の絵が描かれ、祭壇の前には大きな木魚と文机と座布団がある。
祭壇を一周するような構造になっていて、その壁に「地獄絵」の掛け軸が掛かっていた。
 

「再び・・・」

 

地獄絵

地獄絵

 
鬼に股裂きをされ鋸で切られているもの。
賽の河原の婆さん。閻魔大王・・・。
子供のころに見たものとは違うけれど、内面をえぐられる何かを持っている。
「恐怖とは想像力だ」と何かで読んだことがあるが、地獄の存在を信じなくても、この絵で何か恐怖を想像してしまう。
ひとによれば、現実ほど地獄に近いものはないというかもしれないが、これはこれでおっかなく感じる。
 
下田の話ではないので恐縮するところだが、この出会いも下田に住んでいることで起こったことである。
 
3
 
夏は短い。8月も23日を過ぎれば、秋の虫たちが歌いだしている。
 
これも下田生活の夏の思い出の風景だ。
  
 

コメント一覧

  1.  子供のころの「地獄」の思い出と言えば、サンテレビで夕方放送された映画「地獄」を思いだしました。日本映画で「地獄」と言えば、3本あるのですが、そのうちの「非情のライセンス、もしくは被り物の明智小五郎」こと天地茂さん主演の作品でした。

     映画は2部構成で、前半が人間界で後半が地獄めぐりなのですが、なんと前半部で出てきたセリフ付きの役の皆さんが全員「地獄流し」になってしまうのです。素敵な笑顔の恋人の三ツ矢歌子さんやその上品な親御さんなど、一見良識ある上流階級の人たちも、実は罪を犯した経験があり、閻魔役の「地獄の鞍馬天狗」嵐寛寿郎にビシバシ恐ろしい地獄の刑を言い渡されるのを見て、

    子供ながらに、本当に怖いのは 見てくれはお上品でも恐ろしいこと平気でやる人間だ、と震えながら見てました。

    ということは、本当の地獄は「この世」にあるのでしょうね。

  2. 中島君、コメントありがとうございました。何年か前に、僕も「地獄」を観ました。怖いんだけど観たいという不思議な心理状態でした。この世も、あの世も地獄のようなら、一層この世を謳歌したくなります。僕はエピキュリアンだと思います。これからもよろしくです。野人

  3. 中村 由実子

    いやいや、びっくりです。荒倉橋から真っ直ぐ行けない私でしたので
    なんだかあの道は好きになれない、行く気にならないのはひょっとしたらこのお寺の存在かも?
    思い違いかもしれないので説明しにくいけれど 私の出生地は山口県山口市の駅通り1丁目 旧地名は今市字御旅所です。八幡様の御旅所の敷地内に生まれ育ち 街の丘にそびえるザビエル教会の荘厳な鐘の音に護られながらやんちゃな日々を過ごしました。現在、長楽寺 了仙寺 愛宕神社 が南にある位置でお店をやってます。
    神様 仏様を信じてるなんてひっくり返ってもない私、でも住んでいる家や働いている場所が自分に合ってるかどうかぐらいは感じる時があります。多分 河津のあの辺りは私には合わないのでしょうね。取りとめもない事を書きましたが地獄へ行く時はまだまだ先であっ欲しいと思うこの頃です。

コメントする

岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。