第10話 前編冷たい話

冷たい話

角の取れたねずみ色の石が敷き詰められたローマの道を歩いていると、蒼古として建つ教会、遺跡と出会う。

硫酸銅の結晶の塊のように青く澄んだ空とキラキラと空気を浄化する太陽の光がこうした建物を包み込んでいる。
「フォロ・ロマーノ」と隣接する小高い丘は古代ローマ帝国の政治の心臓部であり、それ程広く感じられない敷地に、神殿、元老院会堂、皇帝たちの住居などが密集したところである。
そこは、倒れた柱、屋根を持たない神殿の柱、崩れた壁がそのままの状態で残されていて廃墟そのものだが、観光客を惹きつけて止まない異空間である。
 
 この大帝国の中心、ローマは、また食都でもありました。
帝国が組み込んだ広範な支配地、交易地から様々な食べ物や飲み物が集まり、ローマ人たちは公共の大浴場でオリーブ油を全身に塗り垢をこそげとり湯船に浸り、剣闘士の戦いを見物して、飲食に耽っていました。
金持ち達は、贅を凝らした食事をし、山海の珍味に舌鼓を打ったのですが、一部の好事家は珍奇なものを求めました。
たとえば、最近の調査では、古代ローマ人はキリンまで食していたそうです。
 
 飲み物としてワインが飲まれましたが、これは水と割ったものでした。
暑い夏の日などは、高山から雪を持ってきてワインに入れて冷やして飲むという習慣がありました。
乾燥した空気の中で暑さをしのぐための冷やしワインはことに美味しかったのではないでしょうか。
こうしたシャーベットの原型のようなものは、9世紀のシチリアを支配していたアラブ人の「シャルバート」(シャーベットの語源)に端を発するイタリアの「グラニタ」となってゆきます。
シャーベットはさらに世界をめぐります。
マルコポーロが東方からヨーロッパに氷菓子を持ち帰ったとも言われていますし、元朝のクビライ汗がサマルカンドの「舎里八(シャルバートの漢語)」をシルクロード経由で求めたともいわれていて、果汁に砂糖を混ぜてバラの香りをつけた水や香料で味付けされたものを雪や氷で冷やして飲食していました。
その後、フランス宮廷料理の氷菓子はイタリアから伝わります。
 

古代ローマ世界に思いをはせつつワインお氷で・・・ Soul Bar TOSAYAにて

古代ローマ世界に思いをはせつつワインお氷で・・・ Soul Bar TOSAYAにて


 
 冷蔵庫のない時代には苦労して自然の雪や氷を遠方から運んで利用していました。
日本では、「氷室」がよく知られていますが、これは雪や氷を保存する自然の冷蔵室でした。
でも、このシャーベット、食べることができた人々はほんの一握りの人間でした。
氷菓子の歴史は、その後一般大衆が食べられるものへと変わってゆきます。
そこで、如何に氷を作り冷やし続け保存できるかという工夫を考え出します。
生ものの鮮度を如何に氷で維持できるかも問題になりました。
18世紀・19世紀には欧米で人工的に氷を作り出す技術が広まります。
1860年には、フランス人フェルディナン・カレーという人が「閉鎖式アンモニア吸収システム」という方法で製氷法の特許を取得し、普及します。
冷蔵庫・製氷機の原型のようなものができるわけですが、当時はアメリカでの南北戦争で北部からの氷の供給が南部では途絶えたために、アメリカでは冷蔵設備が南部で浸透したというエピソードもあります。

 

 開国後、天然氷に頼っていた日本の製氷業も1879年(明治12年)には製氷技術が新たに輸入し始めます。
氷を大量に且つ日常化する生産体制に入りつつあった大正期には、特に漁業において氷が商品鮮度を維持するのに最重要なものとなってゆきました。
下田でも如何に鮮度を氷で維持するかという問題に直面したのでした。
 
 

soulbar土佐屋

コメント一覧

  1. 人類は火を制御することで万物の霊長の地位を得たが、長い間、熱をプラスの方へ制御することしか。できなかった。製氷及び保冷技術は原理的にはそれほど難易度が高いものではないが、マイナス方向への制御が可能になってせいぜい二百年なんだよね。蒸気機関の発明が産業革命の端緒であることは間違いないが、製氷・保冷技術が伴ったことにより、産業革命を世界に敷衍することが可能になった。遠洋漁業だって製氷(冷凍と言い換えてもいい)・保冷技術無しではありえなかったんだから。氷もまた軍需品であった時代はあるが少なくとも兵器として使われてはいない。平和産業なのだよ。一年半前に姿を消してしまった南豆製氷は一地方の民間資本が作り上げた稀有な近代産業遺産だった。もっと評価されるべきだった。まぁ、私の非力さの証拠でもあるが。ニチレイ、ニッスイ、東洋水産などなど日本の大手の食品加工企業のほとんどは製氷業から始まっている。成長が急速だったことと戦時中に統制会社に一本化されたことで各社の社史にもその出自は簡単にしか書かれていないが。実は製氷技術こそ第二の産業革命だったんだよ。

  2. キッドさん、コメント有難う御座います。冷蔵・製氷技術の重要性を文章を書いていて改めて認識しました。後編では少し南豆製氷所について触れますが、惜しまれるのはその残し方だったのではないでしょうか・・・。何のお手伝いも出来ず歯がゆいばかりです。歴史を研究してきたものにとって、「遺産」という問題はまだまだ議論せねばならないものだと痛感しています。また、ご感想やご意見を聞かせてください。野人

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。