第27話「長靴をはいた少女」

「長靴をはいた少女」

(「士官の娘」の写真からのインスピレーションによる創作)
 

「士官の娘」

「士官の娘」


 
ひゅー、ひゅーと潮の混じった雨が少女の傘を揉みくちゃにした。
緑の格子模様に色落ちした黄色の着物の裾は濡れて重たくなっている。
横濱関内の西の家からスタジオに行くにはこの道は海岸線の一本道だが、海からの風をもろに受けて今日は歩きづらかった。
 
白い石造りのグランドホテルを通り過ぎると幾分か雨風が弱まった。
通りに面したスタジオのガラス張りの屋根を見上げて、少女は唾液をごくりと飲み込んだ。
冬の冷たい雨で手がかじかんでいるのに、手のひらはだけは少し汗ばんでいるように少女には思えた。
 
三段ほどの石段を登り玄関の前で、彼女は扉のノッカーをゴン、ゴンと叩く。
扉がガタンと開いて、暗がりの中から白い顔に青い目が見降ろす。
 
「やー、お入り!(Avanti!)」
 
玄関の小さなテーブルにはこれまた小さなランプがともっている。左の部屋の扉が開けっ放しになっていて、中から香ばしい匂いがしてきた。
 
(これは嗅いだことあるなぁ。そうタバコのにおい)
 
部屋の奥には撮影用の椅子が置かれ、横壁のテーブルに男は立った。
この男こそフェリーチェ・ベアトの親友、シュティルフリートである。
男は銀製の長方形のお盆にシュガーポットと紅茶の入ったティーカップをのせて、少女がいるテーブルに近寄った。
 
「これは、ひとつ、ふたつ?」
 
「ふたつ」
 
男は砂糖の塊を2個カップの中に入れる。
 
彼は、踵を返して、写真台のところに行き、袋を手に取りまた少女のもとに近寄る。
袋の中に手を入れ一対の黒いブーツを取り出した。
 
「これを、プレゼント」
 
少女は口に広がる紅茶の香りで少し顔のしわが伸びていたが、渡されたブーツを見るなり、目に明かりがともった。
 
「ありがとう」
 
彼女は、ブーツを足元に置き、くすんだ黄色の着物の裾から、ぐっと白い足を突き出し、黒い革のブーツに足をゆっくり滑らせていった。
 
「わーっ」
 
声が華やぐ。ブーツの中は暖かかった。
少女の眼はこの黒い頂き物の上に注がれ、つま先を上げたり、足を横にしたりして眺めるのであった。
 
その声と同時に男の顔も緩んで笑顔になった。
 
「天気が良くない(Fa tempo male.)、また明日おいで(Domani ancora vieni.)」
 
「はい」
 
少し冷めた甘い紅茶を飲み干し、少女はブーツの具合を確かめるように立ち上がった。
二人は玄関で、握手をするが、男の手が暖かいことが、かえって自分の手が冷たすぎていたことを彼女は悟った。
 
外に出ると、風は強く吹いているものの、雨は降っていなかった。
少女の右に広がる海の上は、少し明るくなっていた。
 
「へーっ」
 
少女は、ブーツをはいた足を水たまりに入れて、すくっと前を向いて道を歩いてゆくのであった。

コメント一覧

  1. 写真家さま、天気が悪いのにお嬢さんをすぐに帰すとは!

  2. nakashimaさん、コメントありがとうございます。電話があればこんなことはないだろうに、と思います。その場に行かないと判断がつかないことが多かったのではと思います。それだけ、現代は通信網が発達してます。昔、携帯電話がなかった時、彼女に電話するだけでも不便を感じていたことを思い出します。設定当時の明治初頭では電話網は完ぺきではありませんので、もっと今の人からしたら不便だろうなと思うわけですが・・・。野人

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。