第29話「あの時下田は、」~戦時下のエピソードより~

* 語らぬ父

「飛行機が着陸するから仕方なかったんや。友達を海に引きずり落してしもた・・・」
日頃は戦争体験など一言も語らぬ父であったが、この時ばかりはそう語ったのだった。
父は、広島の大竹海兵団に所属し、空母に乗船していた。
大戦末期の激戦に出撃し、空母は沈没、4人の生き残りの一人であった。
その時、空母は、敵機の爆撃と機銃掃射で大破、父も爆風で上前歯を負傷し、足を銃弾が貫通した。
子供心に、父が笑う前歯の銀歯を見ると、そのことが思い起こされる。
 
* 柿崎

下田の歴史話であまり聞かない話としては、古代のことと、戦争中の話である。
特に、戦争中の話は、当時を知る人がまだ存命中であるからだろうか、私の父と同じく多くを語っていないように思う。
 

「戦時の面影が残る『ハリスの小径』」

「戦時の面影が残る『ハリスの小径』」


 

柿崎の話をひとつ。
須崎半島の付け根の柿崎からつながる、「ハリスの小径」の遊歩道を歩いてゆくと、左手の断崖に大きな洞窟があるのが見える。
地元の人の話によれば、ここは戦時下に、特殊潜航艇が格納されていた洞窟であったそうである。
あの辺りは、吉田松陰がアメリカの艦艇から戻りついた場所であり、あの下田の自然を愛したアメリカ合衆国領事タウンゼント・ハリスが足しげく通った場所である。
それはまさに、歴史の皮肉である。友と信じた者たちの知る地が、その友と戦う基地だったとは!
柿崎の民家には、全国からこの特攻作戦に出撃するべく兵士が集められそこで暮らし、命令を今か今かと待つ、暑い終戦の年を迎えていた。
結局、大きな作戦には発展せず、兵士たちは故郷に戻ることになったのだが、昨年、海底調査で、半島の近海でその船体が確認された。
ということは、出撃していたことになるが・・・。
戦中に限らず、ここは中央政府にとって、また異国にとっても、重要な場所として認識されてきた。
ペリー達でさえ、須崎半島を、「バンダリア半島」「バンダリア岬」と独特の呼称で呼んで知っていたのである。
 
*爆弾

これも聞いた話であるが、下田でも、大戦末期にはアメリカ軍の戦闘機による爆撃と機銃掃射はあったようだ。
今の中島橋の交差点あたりに、爆弾が落ちた。
それは爆発せず、地中にもぐりこんだ。
その後、この辺りを掘削すると爆弾にあたって爆発するのではないかといううわさがあったそうだ。
大戦末期の爆撃や機銃掃射は日本全国で繰り広げられ、ここ下田も例にもれなかった。
その攻撃で死んだ民間人もいたという話も耳にしたことがある。
 
*鍋田

これは、元下田の中学校の音楽の先生の話である。
あの美しい鍋田湾の真ん中に、一隻の潜水艦が、荷物の運搬か何かで浮上して停泊していた。
船体から桟橋に何人かの乗組員が隊列を組んで歩いていた。
その時、空から敵機が来襲、機銃掃射を受け、乗組員がバタバタと海に落ちた。
潜水艦はその後沈められしばらく鍋田湾の海底に沈んでいた。
エメラルドグリーンに輝く鍋田湾にもこんな悲しい話があったのである。
ペリーロードから切通を抜けると、大浦湾に出るが、その切通の頂の左手の崖下に通風孔のような金属製の格子がある。
下田の子供たちは、鍋田浜が海開きすると、自転車で、または徒歩でその切通を超えてゆくのだけれど、その通風孔で一息入れる。
そこからは、夏だというのに、ひやっとする冷風が吹いてくるからだ。
なぜ冷風が吹くのか。
それは、聞いた話によると、戦時中に掘られた地下道を通って冷やされた空気が吹くからである。
日本人にとっては南国の楽天地のような、サイパン島やグアム島は戦争末期の激戦地でもあった。
皮肉にも、そうした島々と引けを取らない下田も、程度の差はあれ、戦争の影を落としているのである。
今回はエピソードの一端を紹介することになったけれども、探せばもっといろんな話が残されていると思われる。
もう当時を知る人も少なくなりつつある。
今聞いておかないと、知らない事実が消えてゆくとも限らない。
我々の世代はそうした話だけでも伝えてゆく立場にあるのではないだろうか?

コメント一覧

  1. 特殊潜航艇格納洞窟、旧下田グランドホテル地下を大浦、和歌浦に向って伸びる通路トンネル兼特攻隊格納庫は、私の母方の祖父が軍属の鉱山技師で、それらの下田に残された特攻隊関係の格納庫、トンネルの掘削の為の地形の調査、測量、工事監督を任されていたと、母からきいていました。
    中島橋交差点の不発弾も、米軍の艦載攻撃機から投下された物で、当時の米国規格から考えられるのは、500ポンドまたは1000ポンドの陸上攻撃用爆弾ではないかと思われます。
    この爆弾投下の時、新田に住んでいた子供時代の母は、親に手を引かれ敷根にあった防空壕に退避していたそうですが、攻撃機が急降下して来る音と、投下された爆弾の風切り音、地表にめり込んだときの地響きの事が恐ろしかったと話してくれました。

  2. 濱﨑さん、貴重なコメントありがとうございます。具体的な内容ですね。ご親族にそのような方がいらしたとは!!!またお話お聞かせください!!!野人

  3. いずいず@いずみ

    貴重なお話し。知っておくことはとても大事ですね。ありがとう野人さん!

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。