第9話 前編紫陽花繚乱~異国で咲いた華たち~

一条の雨の雫が青紫色の紫陽花の花から葉を伝って落ちてゆく。
ショパンのピアノの調べを聴いて、ふと脳裏に浮かぶ幕末の異国人たち。
シーボルトが結びつけた邂逅が下田の「紫陽花祭」に尚一層の彩を添えてくれる。
雨の季節の小さな出会いに感謝!
 

紫陽花繚乱~異国で咲いた華たち~(前編)

 

大学時代の思い出

 
大学生時代、コントラバスのレッスンを受けるときは、ライフル銃を入れるような弓の入った黒いケースを持って焦燥感でやり切れずウロウロした結果、いつも渋谷の住宅街の公園で時間をつぶしたものだ。
あるレッスンの日、公園から先生のご自宅へ向かうと家中から珍しくピアノの音がしてくる。
ショパン「♪別れの曲」。
レッスン室のソファで先生の弾くピアノの音を聞く。
「今日はいつもと違うな」と直感的に思った。
その日のレッスンはボロボロ。しごかれた。
帰り際に、奥様が「今日友人のお葬式でしたの」とお話くださった。
先生の寂しげなピアノの音はきっと友人と会ってらっしゃった音なのだ、と少ししんみりした心になって暗い夜道を歩きながら下宿先へ向かった。

 
あじさい
 

異国の華たち

 
私を寂しい気分にさせたピアノ曲を作曲したのは、ポーランド出身のパリで死没したフレデリック・フランソワ・ショパン(1810/1809~1849)です。
終生ポーランドを思い続けた望郷のピアノの詩人。
そのショパンの父親ニコラ・ショパン(1771~1844)はパリ出身のポーランド人だというから人生は分からない。
パリを捨てポーランド人になろうとした父とポーランド人であることに誇りを抱きパリを捨てきれず、逃れられずに逝ってしまった息子。
彼の「ポロネーズ(ポーランド風)」の曲には並々ならない思いがこめられています。
異邦で不帰の客となった音楽家たち、例えば、ロンドンで死を迎えたカール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバー(1786~1826)、パリで他界したアレクサンドル・コンスタンティーノヴィチ・グラズノフ(1865~1936)、それにアメリカ合衆国で長逝したセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(1873~1943)やイーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882~1971)などがいます。
欧米には異国の地で客死したり、亡命して没した芸術家や音楽家、著名人が沢山います。
たまたま演奏会に来ていたもの、政治的な理由で祖国を去るもの、経済的に追いやられたもの・・・。
異国の地で命を全うするということはどういう気持ちを抱くものなのか、言葉では表現できない何か暗い感情の渦が心の底に巻き起こって止まなかったのではないか、と私は想像するしかありません。
 

音楽を通したシーボルトと日本の出会い

 
思郷の念を抱く人々とともに、異国に対し熱い愛情を抱いていた人々がいたことも忘れられません。
しかも日本を終生忘れられないでいた人々もいたことは確かです。
鳴滝塾を開き日本の医学をはじめ、生物学(一例を挙げれば、トンボ「オニヤンマ」を採取・学術名を命名)、民俗学、地理学など多くの分野に影響を及ぼした、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)もそうした異人でした。
彼は、ドイツ人でありながら長崎でオランダの商館医となり、後のヨーロッパにおける日本学の礎を築き、あのペリーには日本に関する資料を提供し早急な軍事行為を取らないように求めました。
 
音楽の面でもシーボルトは日本とつながりを持っています。
日本に初めてピアノを持ち込んだのはシーボルトでした。
このピアノは、1828年(文政11年)彼が帰国の際に山口県萩市(萩市は下田市の姉妹都市でもあります)の熊谷(くまや)家に贈ったもので(現在熊谷美術館所蔵)、1819年イギリスのWm.Rofe&Son’s社製のスクウェアピアノであり、時代としてはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)やフランツ・ペーター・シューベルト(1797~1828)と同世代のものです。
1999年に修復されたこのピアノで、ベートーヴェンの「♪エリーゼのために」とシーボルト作の「♪カッポレ」が演奏されました。
また2009年は日蘭が国交を結んで400周年にあたり、1830年代にパリで製作され、ショパンが36歳当時に使用していたものと同じ型のピアノ「プレイエル」を使った演奏会が催されました。
コンサートでは、シーボルトが日本の民謡に伴奏をつけて1830年代に出版された曲とショパンが「プレイエル」ピアノで作曲した「♪子犬のワルツ」が演奏されました。
異国の地、日本で、ショパンとシーボルトが結びついた瞬間でした。
望郷の詩人と日本愛を抱き続けた医師がピアノを通じて出会ったのです。
狭い地球です、どこかで何かと何かがピタリと結びつくということが往々にしてあるものですね。
 

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。