第13話お吉は泣いている

「表現者の永遠のテーマ『生と死』、『現実と虚構』」
 

 日米の男と女のオペラ物語を二つ紹介しましょう。
 
♪ピンカート~ン、でお馴染みのCM「桃屋のいかの塩辛」。
プッチーニの「蝶々夫人」の「♪ある晴れた日に」は日本でも人気のオペラのアリアです。
(あらすじ)蝶々さんとピンカートンは契りを結びますが、ピンカートンはアメリカに帰国してしまいます。
彼は既にアメリカに妻がいる身でしたが、結局、そのことが帰国を待ちわびる蝶々さんの耳に入ります。
ピンカートンは彼女を忘れられず、日本に来航した折に彼女に会いに行きますが、出会う前に苦悩する彼女は自らの命を断ちます。
 
下田を舞台にした、オペラ「黒船」(1940年完成、山田耕筰作)。
(あらすじ)日米の交渉がうまくいかない中で、主人公のお吉は、奉行所の息のかかった吉田という男から、アメリカ人の領事の暗殺を依頼されます。
お吉は、結局、殺すことができず、領事に暗殺計画のことを打ち明け、心を許しあうことで二人の間の愛情が一層深まります。
「外国人を襲ってはいけない」という天皇の命により、吉田は自分の行為を恥じ、切腹します。
領事は、吉田の行為を賞賛し、日米の関係がより深まったと歌い上げます。
 
 ふたつの作品に共通するのは、女性が中心人物であり、かなり地位のある異国の男性と日本女性の物語という点です。
異国にあるアメリカ人には独特の孤独というものがあり、これを埋めるべく日本の女性に愛情を注ぎます。
女性は、逆境に陥りつつも男性への愛を確かめ深めてゆきます。
「蝶々夫人」では、女性は悲劇性を帯び、「黒船」では男女間の愛の深まりを歌い上げています。
「蝶々夫人」では長崎のグラバー邸で有名なトーマス・ブレーク・グラバー(1838年~1911年)の妻ツルがモデルではないかといわれ、「黒船」では唐人お吉がモデルとなっています。
どちらのモチーフも作家や作曲者のイマジネーションを駆り立てるものがありそうです。
フィクションとノンフィクション。クリエーターが史実を超えて新たな境地を展開する絶好の題材です。
 ここに登場するお吉は史実のお吉とは違います。斎藤きち(1841年~1890年)は実在した人物ですが、最後は足を滑らせ川で亡くなります。
ここにお吉の悲劇的な要素がありました。
そのため小説や戯曲の題材にもなり、史実とは大きくかけ離れる人物ともなっていったようです。
 
「お吉は泣いている」
 
 ふたつのオペラには表現者にとって最も大切なことが潜んでいます。
それは「自由」です。
そうです、イメージは自由でいいのです。
問題はイメージの固定観念化です。
それが実在した人物ならなおさら決定的なイメージとなっているものです。
架空の人物「蝶々夫人」はあくまで悲劇的な登場人物ですが、お吉は実在した脚色された登場人物です。
とすれば、お吉には「黒船」のようなハッピーエンドの人物や虐げられ没落する人物以外にも、「生」 - ひとりの喜怒哀楽を持っていた人間 - のエピソードがあるはずです。
 
 村松春水や十一谷義三郎の「唐人お吉」は爆発的なヒットとなりました。
時代の趨勢と人々の心性を掴み取るのに成功した作品です。
しかし、決定的なイメージ、つまりお吉の悲劇の一代記を生み出しました。
ヒットの裏で利権の奪い合いや商売根性、出世欲がうごめき、繰り返し繰り返しお吉の悲劇が謳われました。
 
 もうそのような鸚鵡返しのお吉はうんざりです。
どうして、実在した人物なら、ひとりの人間全体が描かれず、読者はそれを読み取ろうとしないのでしょうか?
一個の人間を浮き彫りにしてこそ悲劇的な人物の供養になるというものだと思います。
 
 唇を噛みながら、お吉は心の中で泣いている。「それだけじゃないわよ」と。
 

お吉地蔵

お吉地蔵

 

「涙の向こうに」

 
 では他にどんな物語があるのでしょうか?
一例を挙げましょう。
信田葛葉の「薔薇娘」という本があります。
これはアメリカ領事館の使用人をしていた西山助蔵が伝えるお吉に関する最初の物語です。
脚色された内容があるものの、お吉と直接関係があった助蔵から直接聞いた話として、推察と想像で描いた春水以降の作品の悲劇的なお吉とは違うものが書かれています。
さらに、領事館でのお吉、お福、助蔵や滝蔵の私生活、安政の大地震前後の下田でのお吉たちの生活もまたこうした資料を基に描き出すことの出来る新境地でしょう。
 お吉の父親である斎藤市兵衛は、腕のいい船大工で知られていた一方、気性の激しい性格で「火の玉市兵衛」とあだ名されていたようですが、その性格の一部はお吉に受け継がれたものと思われます。
お吉の性格を知るには父親の存在抜きには考えられないでしょう。
 

信田葛葉作「薔薇娘」

信田葛葉作「薔薇娘」

 
 震災を経て、逞しく立ち回る若者がその流した涙の先に、自分たちの未来が開けていました。
そしてそれぞれの命運が待ち受けていたのでした。

想像してみて下さい。笑顔のお吉もいいんじゃないでしょうか?
 

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岩崎 努

京都出身、2013年に念願の下田移住を果たす。
普段は小学生の子供たちの宿題をみる野人塾の傍ら興味の尽きない歴史分野、下田の歴史を調査中。
周りからは「野人」と呼ばれている。
酒好き、読書好き、ジャズを中心に音楽をこよなく愛す。